2019.07.05

【対談連載】第4回 村中隆之監督 × 西村大介代表

「論理と感性」。相反するものが同居する高校野球はやっぱり面白い。

滋賀レイクスターズ西村大介の対談連載4回目。今回は彦根東高校の硬式野球部を率いる村中隆之監督。
2009年には21世紀枠で56年ぶりの甲子園出場をコーチとして支え、監督就任以降は13年夏、17年夏、18年春とチームを3度の甲子園出場へと導いた。
文武両道ではなく「文武同道」を掲げる監督に、その真意をうかがった。

奇跡は2度も3度も起きない

〈西村〉 そもそもの質問で恐縮ですが、最初から高校野球の指導者になろうと思われていたのですか?

〈村中〉 全く思っていませんでした。 虎姫高校野球部の出身ですが、当時の部活が厳し過ぎて野球が嫌いになっていましたから。 自分の中で心の整理ができず、金沢大学では書道部にいました。 大学時代は全く高校野球を観ていませんでしたから、まさか自分が高校で野球の指導をするとは思ってもいませんでした。

〈西村〉 書道ですか?

〈村中〉 そう、書道(笑)。 でも、書道の経験が今の指導に生かされているとは思います。”大・小”いろいろある文字を、紙面という空間の中でどう生かしていくのかは、野球に通ずるものがあると思います。

〈西村〉 書道と野球がどう結びつくのでしょうか?

〈村中〉 高校野球には色んな選手がいます。 私立だと野球部に入るのに基準があって、それをクリアした選手が集まるのでレベルが一定に保たれています。でも、公立はそうではなく、いろんなレベルの選手が集まってきますし、その中で彼らをどう活かそうかと考えます。 こいつをこっちに、あいつをあっちに…それぞれが活きる道を考えていく。 書道の大きい文字、小さい文字をどう活かすかという部分に通ずるところがあると思います。

〈西村〉 なるほど。 でも、その場合、年毎に良い悪いが生まれると思います。目標設定は毎年変えられるのですか?

〈村中〉 確かに差はあります。 昨年はダメかなと思っていたけど、増居翔太という投手がいて、彼をどう活かすかという中でチームを組み上げました。 今年は増居のような選手はいないですが、春季滋賀県大会でベスト4に入って夏のシード権を得ることができました。 正直、どうなるかは蓋を開けてみないと分からない。 ただ、僕が考える一定の論理までは来てほしいと思っています。 毎年、春季大会の1、2回戦で負けるのではなく、3回戦、4回戦まで勝ち進んでくれたら、こちらとしてもなんとかできる部分はあると思っています。 目標という意味では、春に自分たちのステージを1つ上げることに対して、耐えられるチームになること。その先の優勝には”突き抜ける”ことが大事になってくると思います。

〈西村〉 なるほど。 論理を超えないといけないわけですね。

〈村中〉 でも、1回だけ越えられても、甲子園に出るのは難しい。

〈西村〉 私も経験があります。 京都大学アメフト部の監督時代、立命館大学、関西学院大学、関西大学に割って入ろうとしていた頃に立命館大学にぽろっと勝ってしまった。 でも、(大学王座を決める)甲子園ボウルに出るにはあと2つ勝たないといけないと考えた時、あと2回も論理を超えられるかなと思いました。言い方を変えると、あと2回も奇跡を起こせるのかと。今のチーム作りでは、この先も優勝はないなと悟りました。 でも、周りからは立命館大学に勝って”やったやん!来年はあともう一つ勝てばなんとかなるよね”と言われました。 そんな簡単な話ではないんですけれど(笑)。

〈村中〉 周りからは同じように見えているかもしれないけれど、ラッキーで勝ったのと、論理をしっかりと立てて勝ったのとでは全く違いますよね。 そういう意味では、2013年と2017年の夏の甲子園出場は、僕の中では全く別の異質なものでした。

PROFILE/ むらなか・たかゆき。1968年5月23日生まれ、滋賀県出身。虎姫高校、金沢大学を経て、1991年に北大津高校に赴任。97年から彦根翔陽(現・彦根翔西館)高校に赴任。野球部を創設し初代監督として9年間を過ごした後、2006年に彦根東高校へ。2011年から監督に就任し、2013年と2017年に全国高校野球選手権大会(夏)、2018年に選抜高等学校野球大会(春)へ導いた。2017年には彦根東高校の甲子園初勝利も経験している。

 

最後は感性で決める人間

〈村中〉 2013年は自分が先頭を切って、論理ではなく、勢いで甲子園に到達できた。 だから 「行けちゃった」 といった感覚でした。 後から考えれば、そこには論理も存在していたけれど、それは後付けの論理です。 でも、2017年は最初から論理を立てて甲子園に行くと決めて、そこにバチッとはめていきました。 2017年7月26日の滋賀県大会決勝戦から逆算し、約8ヶ月前の2016年の12月29日にはその大会で登板するピッチャーのローテーションを決めました。途中で手直しはしていきましたが、その投手リレーをするためにどんな練習をした方がいいかなどを決めて、その通りに実行していきました。 そして、2017年の春季大会で予定通り優勝し、「あれ?ほんまに優勝してしまった」と思いました。 自分が立てた推論が正しく、自分の考えが現実化していることに重きを置いて、しっかり思考していこうと思いました。 思考の連続が論理になるからです。 そういう風に戦って甲子園に出場できたのが2017年でした。 その後の2018年には春のセンバツにも出場するのですが、これはラッキーしかありませんでしたし、夏の2回とは全くの異質です。 この時はどうやってラッキーを呼び込もうかという感じでした(笑)

〈西村〉 松下幸之助が成功者に必要なことは”運と愛嬌”と言っていましたが、2018年のセンバツはそういう感じだったのかもしれませんね。 でも、私の意見ですが、運は自分がこの世界をどう認知するかだと思っています。 もし神様がいたら、お前は悪いからとか、お前は良いからといって差別はしないと思います。雨が降って、嫌だと思うか、ラッキーと思うか、こんな練習をいつもならできないけど雨の日ならできるなぁとか。 世界の認知の仕方で随分と見え方が変わってくると思っています。先生的には2017年のように論理で甲子園へ行くのと、そうではない方(感性)とでは、どちらが良いと思われていますか?

〈村中〉 感性と論理のどちらがいいかと言われると、書道をやっていたことを考えると、自分では感覚的なものを大事にするんだろうなと思います。ただ、その傾向が自分でも強いという認識はあるので、逆に論理を大事にしないといけないと思っています。でも、最終的には感性で、その時の状況を見てパッと決める方だと思います。少し話は逸れますが、これからの世の中は論理的にやって行けば行くほど行き詰まるような時代かなと感じています。やっと本題の「文武両道」に入っていく感じですけど(笑)、論理ばっかりじゃないというのが文武両道の理想形かなと思っています。

”文武同道”を使う理由

〈西村〉 先生は文武両道ではなく 「文武同道」 という言葉を使われていますが、これはなぜですか?

〈村中〉 文武両道という言葉が嫌いになってきたからです。 単純に進学校で勉強をやっている生徒が野球もやっている構造を文武両道とみんなが言っていますが、それは結果として偏差値の高い大学に行ったとか、そういう結果論の話になっています。 でも、文武両道とはプロセスの話です。 そのプロセスの中で人間やチームがいろんな場面を自分の力に変えていくのが文武両道のイメージとして持っています。 だから、両道は複数という意味で、いろんなことをやりながら自分の成長を高めていく。 その手段として野球があって、目の前に勉強があって、クラスの仕事があって…。 つまり 「同道」 というのは、野球も勉強も学級も家庭もみんな同じじゃないかという意味で使い始めました。

〈西村〉 確かに、私も文武両道はプロセスだと思いますし、結果としての文武両道について問われても気持ち悪さがありました。 アメリカンフットボールでは、その場で勝たないといけないのに、それを勉強と結び付けないでと。 京都大学だから頭を使って勝っているんですよね、特別な戦い方があるんですよねって言われるけれど、そうではないですよ。

〈村中〉 でも、それは武器にもなりますよね。 勝手に何か策を練っているのではないかと相手が幻想を抱いてくれますから(笑)

野球はリーダーに向かない?

〈西村〉 これは自分の考えですけど、グラウンドの外、つまり監督やコーチから指示が出てくるアメフトも野球も、組織に適合する人間には抜群のスポーツだと思います。 でも、何かを破壊するとか、決断するといったリーダーには向かないスポーツなんじゃないかと思っています。先生はどう思われますか?

〈村中〉 私もそう思います。 芸術の世界では”守破離”が大事だと言われます。サポートしてもらい(守られ)ながら師匠の型を勉強する。 そして師匠のメガネと手足を借りながら物事を見て、次にメガネは借りたまま自分の手足で型を破り、師匠から離れていく。 それが自立(自律)ですけど、実はそれだけでは師匠には負けてしまう。新しいものを作っていかないと勝てないから、自立の先が大事になってきます。 野球でも同じだと考えています。例えば、ランナーが1・3塁という場面ではスクイズや内野ゴロ、エンドランなど点を奪う方法が何通りも考えられます。 それを成功させるために、日頃から部分練習で腕を磨いていますので、監督がサインを出せば点は奪えると思います。 でも、監督が「1点取れ」 という曖昧な指示を出したらどうでしょうか? 実はこの前に試してみたんですが、選手たちはどの方法を決断すればいいかを迷っていました。でも、どれかを選んで決断することは慣れれば誰でもできると思っています。できるヤツらが甲子園に行くはずです。 でも、本当は監督の選択肢にはない方法、例えば 「次はインコースに絶対に放ってくるカウントだったので思い切り振ってホームランを打ちました」 という選手がほしい(笑)。 自分なりの根拠があった上で、監督の考えにはないフルスイングをするような選手。 完全に型を破っていますよね。これがリーダーだとすれば、ある程度の型が決まっている野球では、リーダーは出てきにくいのかもしれません。

PROFILE/ にしむら・だいすけ。1977年3月18日生まれ、鳥取県出身。滋賀レイクスターズ代表取締役。京都大学アメリカンフットボール部時代は、1996年甲子園ボウル優勝を経験。社会人時代はオールXリーグ2度受賞し、2003年ワールドカップにも出場。選手引退後は京都大学アメフト部のコーチ、監督を歴任した。代表取締役を務める株式会社G-assistでは国公立大学体育会学生と企業とを結ぶ就職活動支援事業なども展開中。

 

教育は 「感動と感銘」

〈西村〉 ところで教育改革が謳われている昨今ですが、先生の考える教育とはなんでしょうか?

〈村中〉 答えはまだ出ていないです。でも、北大津高校の先生時代に先輩から言われた言葉が常に頭の中にあります。「教育とは感動と感銘だよ」。 感動とは心を動かすこと、感銘は自分の生き方そのもの。 そういうものが教育だろうなと私も思っています。 事ある毎に、自分の中に今、感動と感銘はあるだろうかと問います。 西村さんは教育をどう考えていらっしゃいますか?

〈西村〉 教育はと問われると難しいですね。 でも、私は 「人が夢中になる環境を世の中に提供し、そこで生まれる成長をもって世界に貢献する」 というものをミッションステイトメントとして持っています。 人が面白いと感じるきっかけの場を作ることは、もしかしたらできるのかもしれないと思っています。 私がシーズンスポーツに力を入れているのも、そのきっかけを作りたいという思いからです。 少し話は逸れますが、きっかけの場としての部活が縮小傾向にある中で、先生はこれからの高校野球がどうなっていくと思われますか?

〈村中〉 高校野球200年構想の中で、今100年が過ぎました。 次はどんな高校野球を望まれますかとマスコミの方に聞かれることがあります。 あり方としては、塾と同じように純粋バイオで育てられた選手を集めた私立高校だけが甲子園で野球を披露するのではなく、今と同じように、彦根東高校だったら文武同道といった具合にいろんな学校が活躍するものであってほしいと思います。 野球は相手の力を出させなければ勝てる可能性があるスポーツですし、偶然性の中で試合が拮抗していきます。 一か八かが勝敗を決すような野球が100年後も残ってほしいと思います。 学校の部活が縮小傾向にある中で、大会のあり方が県対抗などに変わる可能性はあります。 でも、正直、それは寂しいなぁと思います。

〈西村〉 そうですね。 本日は甲子園予選を控えた中、貴重なお時間をいただき、ありがとうございました。

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