2021.08.13
初のオリンピック。自分のスタイルを貫き、メダルを目指す 吉田拓馬
史上初のオリンピック1年延期。凍結されたこの長い時間は、選手たちの運命をも変えてしまった。
1年越しの祭典。この難しいビッグゲームに挑んできた滋賀アスリートたちの軌跡を追う。
悔しさをバネに過ごした5年
長浜市出身の吉田拓馬(東京ガスクリエイティブ)が、東京2020オリンピックに挑む水球男子日本代表(ポセイドンジャパン)のメンバーに選ばれた。吉田にとっては5年越しにつかんだ代表入りだった。
2016年。大学3年生だった吉田は初めて日本代表合宿に招集された。青写真では、そのままリオデジャネイロオリンピック出場をかけたアジア予選に挑むはずだったが、最終メンバー13人からは落選。補欠として日本に残り、代表の活躍を見守った。
「予選直前まで一緒に合宿していたメンバーが32年ぶりのオリンピック出場を決めました。その瞬間は言葉にできないほどうれしかったのですが、だんだん悔しい気持ちが大きくなってきて…。オリンピックへの想いが、今まで以上に強くなりました」
次こそは…。吉田は誰にも負けない強い気持ちで、東京2020オリンピックを目指してきた。
スピードが武器の万能タイプ
吉田は小学2年から水球を始めた。地元の長浜スイミングスクール(現エル・アテインスイミングスクール長浜)の先生に誘われたのがきっかけで、そこからずっと水球を続けている。
長浜北星高校3年時の岐阜国体では大会得点王に輝き、8位入賞の原動力に。大学でもインカレ優勝を経験するなど、今も昔も地元のスター選手だった。
だが、水球選手としては決して恵まれた体格ではない。172㎝・75㎏は小柄と表現した方が正しいニュアンスだ。ただ、それを補うだけのスピードを吉田は持っている。それをベースに、シュートやパスのスキルを徹底的に磨き、ポセイドンジャパンで唯一、複数のポジションをこなす万能タイプへと育った。
「パワーではなくスピードで勝負し、相手を熱くさせてペースを乱させるプレースタイルが持ち味です。複数のポジションに入り、シュートを打ったり、アシストしたりとさまざまな場面で活躍できることも自分の長所だと思っています」
水球に限らず、球技では優れたユーティリティプレイヤーがチームにいることで、戦術や戦略の幅がぐっと広がる。その観点から言えば、吉田は日本の強みであり、対戦国にとっては嫌な存在。日本躍進のカギを握る一人と言えそうだ。
初のオリンピックで恩返し
吉田が大学を卒業する頃、国内の競技環境はあまり整っておらず、競技を続けるのは難しい状況だった。その中で、早くから吉田をサポートしてくれていたのが東京ガスクリエイティブだった。
「仕事をしながら競技を続けられる環境を整えてくださった。支えてくださっている方々のためにも東京2020オリンピックで恩返しがしたい」と話すのは、そういう背景も関係している。
もちろん、幼い頃から自分の夢を支えてくれた滋賀の方々への感謝も忘れてはいない。
「今の自分があるのは滋賀県で生まれ育ったからだと思います。子どもの頃、純粋に楽しく水球していた時間はすごく貴重だったと思います。家族や恩師にはすごく支えていただきましたし、感謝しかありません。この気持ちをもって初めてのオリンピックに挑みたいと思います」
目標はメダル獲得。小学生からの夢だったオリンピックの舞台で、今までの努力を全てぶつけるつもりだ。
「自分のプレースタイルを貫き、悔いのない大会にしたいです。結果を第一に考えながらも、水球を全力で楽しみたいと思います!」
2021年7月25日。吉田のオリンピックへの挑戦がいよいよ始まる。
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吉田拓馬
東京ガスクリエイティブ
よしだ・たくま。1994年10月11日生まれ、長浜市出身。長浜市立田根小学校、浅井中学校、長浜北星高校、日本体育大学を経て、2017年から東京ガスクリエイティブへ。高校時代は水泳部(水球)の主将を務め、インターハイや国体などで活躍。大学3年時の2016年に日本代表(ポセイドンジャパン)に初選出。同年11月のアジア水泳選手権(水球)では日本代表の金メダル獲得に貢献し、滋賀県民スポーツ大賞も受賞した。