2020.07.23
「レイクスと共に12年」小川伸也 #7
一滴のしずくはやがて川になり、大きなうみを形成する。滋賀レイクスターズもそうやって、故郷やバスケットを愛する者たちによって形を成してきた。この連載では、そんなバスケットマン(B-MEN)のサイドストーリー(B面)を軸に、レイクスの軌跡をひもといていく。
(構成・文:白井邦彦)
【B-MEN/B面】
第七回:小川伸也
滋賀レイクスターズ二代目キャプテン
52試合すべて勝ちたい
アラン・ウェストオーバーHC体制1年目の2011-2012シーズン。藤原隆充からキャプテンを引き継いだのは27歳の小川伸也だった。長浜市出身。周囲の期待に応え、「個人の目標は、52試合すべて勝つこと」と小川は述べていた。
その挑戦は最初の試合、つまりシーズン開幕の京都ハンナリーズ戦に敗れ、早くも終わった。だが、翌日のシリーズ第2戦できっちりとリベンジに成功し、ディオニシオ・ゴメスとともに小川はその試合のMVPに輝いた。試合後、小川は「昨日いきなり負けちゃって…、どうしようかと思いました(笑)」と顔をくしゃくしゃにした後にこう続けた。
「まず1勝できて、ほっとしました(笑)」
キャリア豊富な藤原や波多野和也らがいる中で、小川は「キャプテンとして自分がチームを引っ張ろうという考えはない」と話していた。だが、1勝してほっとしたというコメントが物語るように、キャプテンとしての自覚はあったと思われる。何より、責任感の強い小川の性格をよく表した言葉だった。
それから引退した2014-2015シーズンまでの4シーズンにわたって小川はキャプテンを務めた。現役選手としての最後の舞台は有明での3位決定戦。故障した膝をテーピングでガチガチに固定しながら、勝利のブザーをコートの上で聞いた。当時30歳。10歳上の先輩・石橋晴行に「まだ早いやろ」と惜しまれながら、レイクスブルーのユニホームを脱ぐことになった。
言葉にできない想い
2020年6月。小川伸也は選手および指導者として12年間を過ごしたレイクスを退団した。ここまでのB-MENの体裁とは異なるが、ここからは退団直前(2020年6月)に行ったインタビューの一部をお届けしたい。彼の人柄や想いがよりストレートにわかるからだ。まずは、有明での引退について。
Q:計5回の膝の手術を経て悲願の有明でプレー。それが選手としての最後の試合になりましたが、どんな思いでコートに立っていたのでしょうか?
正直、あの時はアップするのも苦痛でした。いつも注射を打ったり、痛み止めの薬を飲んだり、練習でもテーピングをぐるぐるに巻いてやっていました。
だから、遠山さん(当時のヘッドコーチ遠山向人氏)にも相談しようと思ったんです、自分を使わないでくれって。でも、それを言ってしまうと逃げているような気がしたので、だましだましプレーしていました。
優勝はできなかったですけど、本当にいい終わり方をさせてもらったと思います。神様がくれたというより、当時のチームみんながくれた贈り物だと思いますし、ほんとに感謝しています。
Q:選手時代に一番印象に残っている試合も、やはり有明での最後の試合になりますか?
ん〜、それよりも怪我をした試合の方が印象に残っていますね。2012-2013シーズンの大分(大分ヒートデビルズ)戦。2回目に怪我した試合です。
確か、アルフレッド・アボヤ選手がカット(契約解除)された次の週の試合で、僕も気持ちが切れていたのを覚えています。チーム状態も良かった中で、なぜ外国籍選手を変えるのか納得できなかったというか…。それに、アボヤはチームメイトから努力を認められていて信頼も厚かった。そういうモヤモヤした気持ちを背負って大分戦を戦った記憶があります。
もちろん、アボヤがカットされたからといって適当なプレーをするわけではないですけど、(注意力が散漫となって)怪我した要因の一つかなとは思います。あの怪我が選手生命のターニングポイントになったと思いますので、やはり印象に残っていますね。
Q:なるほど。では、地元・滋賀のチームでプレーすることに関してはどんな思いがありましたか?
富山(富山グラウジーズ)から(滋賀)レイクスターズに来る前に、何人かの方々に相談しました。その中で、地元チームでプレーできるのは地元出身の選手にしか味わえない経験で、そんなチャンスはなかなかないと言われた。確かにそうかもなぁと思って、移籍加入を決めました。でも、富山の時はプレータイムがあったけど、レイクスターズではなかった。単に自分の実力がなかっただけなんですけど、ちょっと滋賀に来たのは失敗だったかなとは思いましたね(笑)。若い頃は、誰でもすぐ人のせいにしちゃうじゃないですか。自分の実力不足なのに、使ってくれないヘッドコーチのせいにしたり、いろんな環境のせいにしたり。最初の2、3年は“もう移籍だな”なんて考えたこともありました。そんな時にデカバシさん(石橋貴俊HC)が来て、自分を使ってくれた。あの出会いがなければ、こんなに長くレイクスターズにいることはなかったかもしれません。
Q:今回、2008年から2020年まで足掛け12年在籍した滋賀レイクスターズを退団することになりました。月並みな質問で恐縮ですが、小川伸也にとって滋賀レイクスターズとはどんな存在でしょうか?
そうですねぇ…、24歳から36歳までですからねぇ…、そうですねぇ…。言葉で表すとすごく安っぽくなっちゃう気がするので、言葉にはできないのが正直なところです。言葉にできない、ふさわしい表現が見つからないです。
楽しいこともいっぱいありましたし、苦しいこともいっぱいありました。こうやって今もBリーグに携われているのは滋賀のみなさんのおかげですし、レイクスターズのおかげです。苦楽を共にした…、いやぁ、やっぱり安っぽくなるからやめておきます。
このインタビューから約1月後の2020年7月23日。小川伸也の京都ハンナリーズ・ヘッドコーチ就任が発表された。急遽、コメントを求めると、師匠ショーン・デニスHCとの意外な秘話を教えてくれた。
ヘッドコーチ打診から小川は2週間ほど悩んだ。デニスHCに相談すると、彼の第一声は「おめでとう」だったらしい。
「ショーンさんは僕や根間(洋一)さんにずっとこう言っていました。オレの仕事はお前たちをヘッドコーチにすることだ。その観点で僕に3年間アプローチしてくれていましたし、今回の京都ハンナリーズHC就任を誰よりも祝福してくれたのは、ショーンさんでした」
今シーズンの滋京ダービーは、かなり盛り上がるに違いない。今度、試合会場で小川伸也と出会ったら、レイクス在籍12年間の感謝を込めて、特大の“ブーイング”を送りたいと思う(筆者より)。