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2020.07.22

最高の運 西村顕志(中学編2/3)

こんにちは!

前回からニシムラタカユキ物語中学編を3回に分けてお届けしております!

Part1「野球部の僕が陸上競技を始めるまで」
Part2「最高の運。」←キョウココ
Part3完結「中学時代の陸上競技」

↓ マダノヒトココタッチ ↓

野球部の僕が陸上競技を始めるまで 西村顕志(中学編1/3)

 

第2戦

陸上競技デビュー戦をクラシックなスパイクで駆け抜け優勝した僕は、人生2試合目である夏の県大会に向かっていた。僕の住んでいる町とその日の会場は、琵琶湖を挟んで真反対にある。1時間くらい父の運転に身を揺られ着いた会場は、全国的に見ればさほど大規模ではない。しかし、コンビニまで車で行くような田舎から来た僕からすると、十分すぎるくらい迫力があった。

夏の県大会は、学年別に行われ、僕は中学2年生100m走の部に出場する。その大会では3位までに入ると次の近畿大会に進むことができた。本格的な競技会で正式な記録が計測される大会は初めてだったが、学校の先生が言っていた、「去年の優勝記録を上回っている」という言葉のおかげで意外と余裕だった。

そんな中でも、田舎の大会にはない洗礼を受ける。

陸上競技は自分の種目が行われる20〜30分前に、決められた地点で点呼を受ける。これを招集という。間に合わななければ、レースに出場することはできず失格となってしまう。そのため選手は、この招集時刻に合わせてウォーミングアップを行うのだが、僕のデビュー戦はのんびりした田舎の試合だったのでレース直前にスタート地点に行けばそれでよかった。本物の招集はこれが初めてで、少しでも遅れるだけでレースに出れないことをとても恐れた

初めての競技場でどこに時計があるか分からないので、招集時刻の10分前に父親に呼びに来てもらうようにお願いしていた。いざ、5分前に召集所について驚いた。誰もいない。時間を間違えたんじゃないかとそわそわしながら、端の方に荷物を置き待っていた。すると、時間ギリギリに談笑しながら、集まってくる人たちを見て、もっと早く来いと初心者ながらに思った。今でも信念として、招集には早めに行くようにしている。

そして、その招集所には選手が待機するテントが置かれている。当然、誰でも使用することができるが、その時の僕は、テント使うにも申請とか許可がいると思っていて、火が照りつけるテントの外に荷物を置き待機していた。無論、人生2試合目の僕には友達などおらず、誰も教えてくれない。周りからはわざわざ夏の日差しの下に行くおかしなやつに見えていたと思う。それでも、それらの大したことない洗礼を跳ね除け、無事予選を通過することができた。

決勝は流石の緊張感。スターターの「位置について」の合図からスタートポジションに着くまでに心の中で「どうせ野球部だから」という魔法の一言を呟き、負けてもいい言い訳を作って、溢れんばかりの緊張感を和らげていた。

当時のレース展開はお決まりで、僕は野球部だったため、ちょうど塁間程度の20mくらいが一番得意だった。スタートは必ず出遅れるが、20m付近ではトップになり、そこからずるずる抜かされていく。その時も号砲とともに、「やべっ」と思ったが20mくらいで一瞬前に出て、やばいやばい耐えろ耐えろと呟きながらフィニッシュを決め、近畿大会にいけるギリギリ3位だった。100mのうちの20m速くても、流石に優勝は無理だったが、自分の中では、近畿大会に進めるだけで満足だったし、そんなに悔しかったわけではない。

レース後にスパイクを脱いでレーンの外に出ると、表彰の時間が伝えられる。言われた通り指定された場所に行くと、すでに一人の少年が座って待っていた。表彰は3位までなので一人足りないので、最後じゃなくてよかった、と思いながら近づいていく。すると、表彰を担当されている先生から1位の子はリレーがあって来れないから二人ですると伝えられた。先に来ていた2位の少年と一緒に表彰を受け、表彰後にクーラーの効いた待機室でその少年に話しかけてもらえた。

今まで陸上やっていた?」という問いに対して、「実は野球部」と答えると少し驚かれたようだった。たわいもない会話を繰り返して、解散する際に彼が「ありがとうございました」と言いながら手を差し出してくれた。全く知り合いがいない陸上界で、こんな僕に手を出してくれるなんていい奴なんだと思いながら握手した。最早その少年「桐生祥秀」は、名の知れた選手になったが、僕にとっては陸上での初めての友達であり、人生の目標を与えてくれた人でもあるのでとても感謝している。

追伸

今はもう引退された島田紳助が昔こう言っていた。

「芸能界は運も大事やけど、俺にとってはさんまと同期やったことが最高の運やわ」。

僕にとっての最高の運は、初めての友達が桐生くんだったこと。おかげで9秒台を出すまで陸上をやめられないし、陸上競技においてどんなことがあっても運が悪いとは言わない。

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