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2020.07.19TAKAYUKI NISHIMURA

野球部の僕が陸上競技を始めるまで 西村顕志(中学編1/3)

こんにちは!もう名前は覚えていただけましたか?

今日から3回に分けて、ニシムラタカユキ物語中学編をお届けしたいと思います!
Part1「野球部の僕が陸上競技を始めるまで」←キョウココ
Part2「最高の運。」
Part3完結「中学生の陸上競技」

教室の張り紙

時は遡ること2009年6月7日。この日、中学2年生の僕は初めて参加した陸上競技大会で100m走を走り優勝した。優勝に至るまでに2つ(母と父)感謝すべきことがある。そして、この日を境に僕は陸上競技に人生を懸け、また狂うほど愛し続ける生活が始まるのである。

当時の僕は野球部に所属していた。野球好きの母の影響で小学生の時からやっている。僕の通っていた中学校は、同級生が約60人と小規模校だったので部活動の選択肢はほとんどなく、友達全員が続ける野球部を僕も選んだ。
そんな僕が、陸上競技を始めることになったきっかけは、中2の春教室の後ろに貼られていた陸上大会の申し込み案内だった。昔から走ることは好きで得意だったし、何となく野球にも飽きが出始めていた頃だったので、クラスの友達と一緒に出ることにした。この大会は市の陸上大会で夏の県大会の予選を兼ねている。そのため、市内の陸上部がこぞって目標にする大会だった。そんなことを知らない僕は初めての陸上大会に心が躍っていた。

しかし、ここで問題が発生する。

計画性のない僕は気づいた時には申込締切の前日だった。大会に出るためには、申込用紙を大会事務局に郵送で送らなければいけない。母に出たいと言った時には、時すでに遅しの一歩手前だった。こういった場合、我が家ではどうなるかというと、

無理しない母「別にわざわざ出なくていいじゃん野球部なんだし
自責の念僕「まあいっか

という感じで、話が流れてしまうのか常だったが、この時の僕はなぜか強気に『絶対出たい』と譲らなかったことで、ここが人生のターニングポイントとなる。僕が珍しく引き下がらないのを見て、母が一旦大会事務局に電話してくれた。幸いにも直接持ってきたらいいよと言っていただき、締切当日に母が持っていってくれた。
本来は間に合わないはずの、僕のデビュー戦にエントリーできたことは奇跡だったと思うし(母ありがとう)、陸上競技に運命を感じる。その時の、参加費は100円で、「100円の領収書」(写真はない)を陸上競技に出会わせてくれた、かけがえのないものとして、当時お守りがてら陸上用かばんにしまっていた。

30年前の「オニツカタイガー」

僕は1週間前から野球部を離れて陸上の練習を開始した。始めたと言っても、誰かが教えてくれるわけでもない。ジャンプの主人公なら、本番までにできる限りのハードワークを重ねパワーアップするのだろうが、前述の通り「無理しない」思想な母の教えを大切にしている僕は、そんな厳しい練習などするはずもなく、友達が出場する走り高跳びの練習を一緒にして遊んでいた。それでも流石に一回くらいはスタートの練習をせねばと思い、前日にスターティングブロック、略してスタブロをいじってみたものの、すぐ飽きてやめてしまった。
かの有名な僕の指導教員(前作読んでね☆https://lakesmagazine.jp/2020/06/15/lav0007/)が「走るとは跳躍運動の連続である」という格言を残されているように、今思い返せば走らずにジャンプして遊んでいてよかったと思う。

そんなこんなで、また問題が発生する。

同じく明日100mに出場する友達が、スパイクを買ってもらったらしい。

無知な僕「スパイク?

当たり前だが、陸上選手はスパイクを履くのである。小学生くらいだったら、スパイクだろうが、シューズだろうが大して変わらないが、中学生の大会にシューズで出場するのは、武器を持たず戦場に突撃する、論文を読まずにゼミに向かうことと同じである。これがいかに無謀なことであるかは、Fゼミのみなさんならお分かりだろう。
家に帰った僕は、晩ご飯を食べながら母に「Kちゃんがスパイク履いて試合に出るらしい」と話していた。すると、いつも横の部屋でパソコンをいじっている父が急に出てきて、「スパイクあるぞ」と言い出した。理解が追いついていない僕をよそに、父は倉庫の裏の物置から、(当時から数えて)30年前に父が履いていたスパイクを持ってきてくれた。今の世では想像することのできない、触るたびに周りの塗装が落ちるような代物だった。それでも、裏側にはピンが付いていて、スパイクとして問題なく機能を果たしていそうだった。こうして僕は、神器スパイクを大会前夜に手にして(父ありがとう)、大会に出場することができた。

 

デビュー戦の結果

初めて出場した100m走は中学生の部大会タイ記録で優勝することができた(記録:手動11秒4)。いきなり勝てたこともあり、陸上って楽しいなあと感じていた。後日、学校の先生から「この記録は昨年の県大会の優勝記録を上回っている」と言われ、次の県大会出場が決まったことで僕の陸上人生がスタートした。なによりもまた陸上の大会に出れることが嬉しかった。
「思ってる以上にいけんじゃね?」と浮かれていた僕は、次戦で人生を陸上に捧げる理由となる「桐生祥秀」に出会うとは知る由もない。

次回Part2「最高の運」お楽しみに!

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