2018.01.06
[ボート]日本大学 港裕哉
有終の美。大学ラストイヤーはインカレ、全日本の2冠達成。
自信がついた全日本優勝
2017年10月に行われたボート競技の国内最高峰レース 「全日本選手権」。 その舵手付きペア種目で草津市出身の港裕哉(日本大学4年)が頂点に立った。 「大学ボート生活、そして日本大学の名を背負って出場する最後の大会。 1つの区切りとして優勝でき、本当に良かった。 まだもう少し続く競技人生に自信がつきました」 と当時を振り返る。全日本大学選手権(インカレ)と合わせて同種目で2冠。瀬田工業高校時代の恩師・辻正人教諭は「大学では毎年何かの種目で全国制覇し、大きなケガもせずに頑張っていた。 なんだかんだ言ってすごい男です」 と評す。 大学4年間を締めくくる2冠は、まさに有終の美と言えた。
港が日本大学への進学を決めた理由は 「日本一の称号をつかみ続けている大学でやりたかった」 から。 求めたのは、全国制覇が半ば義務付けられた厳しい環境だった。
「高校とは比べものにならないくらい、優勝というものが身近にあった。入部当初からインカレで連覇を続けており、大会毎に必ず優勝があった。同期も日本代表や高校チャンピオンなど経験がある選手ばかり。 その中での生活や練習は強い刺激がありました。 結果を残せたのも、この環境が大きい」
あえて選んだイバラの道で、湖国の若鮎は大きく成長した。
”控え目”が成長につながる
競技者としてのターニングポイントになったのが、大学1年時の全日本インカレだと言う。
「1年生だけのクルーで舵手なしクォドルプル(4人乗り)に出場しました。 予選、準決勝を1位タイムで通過し、全員が優勝できると自信を持った。でも、結果は2位。 自分たちの自信からくるおごりが招いた結果でした。その失敗をきっかけに、試合も練習も最後まで気を抜かず全力を尽くすと決めて挑むようになりました」
暑い夏も寒い冬も、辛く厳しい練習に耐えた。 「これだけ練習をやってきたのだから…」 と思えるまでストイックに自分を追い込んだ。 その結果が4年間の活躍に結びつくのだが、実は〝控え目な性格〞も成長する上でカギとなった。 恩師の辻教諭は 「港は、自分の評価を控えめにする傾向がある。 それがなければもっと上に行ける選手。 でも、その奥ゆかしさが人から好かれる理由ですが…」
港本人も自覚があったようで 「確かに自己評価は控え目かもしれません(笑)。 先輩、同期、後輩に強い選手が多く、その中にいる自分に自信があまり持てなかったからだと思います。 でも、逆にこの性格だったからこそ、自信が持てるまで厳しい練習を続けてこられたのではないかとも思います」
その努力の延長上に、今年度の全日本インカレ(舵手付きペア)優勝もあった。 しかも、決勝で出したタイムが戸田ボートコース(舵手付きペア)のコースレコードというおまけ付き。 今春から社会人として競技と向き合う港にとって、この記録も”自信”という大きな財産になるに違いない。
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港 裕哉
日本大学
Profile みなと・ゆうや。1995年6月19日生まれ、草津市出身。常盤小学校、新堂中学校、瀬田工業高校を経て日本大学へ。高 校3年生時には、当時彦根東高校の石田良知(早稲田大学)と組み、国体少年男子ダブルスカルで優勝。大学では、平成28年 度第43回全日本大学選手権大会エイト優勝、平成29年度第44回全日本大学選手権大会舵手付きペア優勝、平成29年度第95回全日本選手権大会舵手付きペア優勝など好成績を残した。186㎝、77㎏。