2025.01.01
滋大は創部初、同大は女子部初。 インカレで新たな1ページ刻む。
101年の歴史に新たな1ページ
2024年9月に開催された「第51回全日本大学ローイング選手権大会(インカレ)」は、ボート王国・滋賀にとって豊作の大会となった。
中でも創部101年目の滋賀大学漕艇部は男女合わせて初のインカレ制覇という快挙を達成した。
女子ペアで頂点に立った西村菜々花(4年)と銖藤 蓮(3年)は共に大学からボートを始めたという。西村は「高校は弓道部。せっかく滋賀に来たのだから琵琶湖でできるスポーツがいいなと思って…。割とちゃんとやりたいタイプなので朝練がある漕艇部がいいなと思って入りました」と話す。
きっと運命だったのだろう。メキメキと頭角を現した西村は、大学3年に出場した「朝日レガッタ」の一般女子シングルスで優勝する。こちらも創部初の快挙だった。
現在キャプテンを務める銖藤は高校時代に英会話を楽しむESS部に所属。文化部から転身し大学の頂点に立つのは並の努力では叶わないだろう。今回のインカレ優勝を手放しで喜んだと思われたが、意外にも感想は「正直、ほっとしました」だった。
「卒業生の皆さんにご支援をいただき、また春にはニュージーランドに遠征も行かせていただきました。なんとか結果でお返ししたかったので、優勝できて、安堵の気持ちの方が強かったです」
決勝は滋賀大学らしい勝ち方だった。序盤こそ他大学に先行されてプラン通りではなかったが、最も苦しい1000〜2000mでラストスパートをかけて逃げ切った。「ラストに強いのが滋賀大のポリシー。そこは意地というか、気持ちで漕ぎ切りました」(西村)
スタッフとして彼女たちをずっと支えてきた山越由華里(4年)は「練習メニューを考えたり、タイムを測ったり、モーターボートで水上に出て修正点などを伝えたり…。外部コーチの杉藤さん(杉藤洋志/レイクスターズ・ロウイングクラブなどでも指導)に色々と教えていただきながら部に関わらせていただいた。今回の優勝、やっぱり嬉しかったです」と話す。
西村と銖藤は言い切る。「私たちだけの優勝ではない」。滋賀大学に関わる全ての人たちで勝ち取った初の栄冠だった。
コロナ禍世代、意地の頂点
同志社大学ボート部は1981年に端艇部として誕生し、130年以上の歴史を持つ。国内トップクラスの部員数を誇り、数々の栄光も手にしてきた。
そんな伝統あるボート部にしては意外に聞こえるが、女子部のインカレ優勝(女子クォドルプル)は創部初の快挙だった。
歴史に名を刻んだクルー(清水彩夏、落合陽乃花、三苫詩葉、東野 花)の中で、最も喜びを爆発させたのは落合かもしれない。高校最後のインターハイがコロナ禍で中止となり、不完全燃焼のまま大学4年まで過ごしていたからだ。
彦根東高校2年時のインターハイ女子シングルスで6位入賞を果たした落合は、続く国体では決勝が悪天候で中止となり、ファイナリスト全員が優勝という「腑に堕ちない」結果だった。
「でも、まだ高校3年がある」。そんな想いで迎えた高校ラストイヤーにコロナ禍の影響を受けた。
「やりきれないまま終わってボートはもうやめようと思った時期もありました。一方で、中止になったインハイの悔しさを大学で…みたいな気持ちもどこかにあった」
結局、落合は競技を続けた。とはいえ、大学1年はまだコロナ禍で思うようには進まず、2年の全日本選手権オープンダブルで3位に入ったあと、1年間の留学を挟む。そのブランクを必死で埋め、大学3年のインカレで女子クォドルプル7位に入った。実力はあるが煮え切らない、そんな競技生活を送っていた。
もどかしい日常に変化をもたらしたのが、今年就任した中野紘志コーチ(レイクスターズ・ロウイングクラブなどでも指導)の存在。リオ五輪日本代表による技術指導で飛躍的に成長したと落合は話す。
「毎朝欠かさずモーターボートに乗って、細かい技術の指導をしてくれる。私たちの成長に合わせた練習メニューも組んでくれました。そういう経験は今までなかったですし、コーチなしではインカレ優勝はなかったと思います」
もちろん、中野コーチの存在は大きい。だが、クルー全員が毎日の苦しい練習に耐えてこなければ頂点はなかった。落合にとって「腑に落ちない」国体を除けば、今回のインカレ優勝は〝人生初〞の優勝でもあった。
「めちゃくちゃうれしかったです!」コロナ禍世代は満面の笑みを浮かべた。