2025.03.01

本気で狙う、26ミラノの表彰台。大いなる挑戦を滋賀からサポート!

始まりは1通のメールから

 2023年5月、近江鍛工に1通のメールが届いた。クロスカントリースキーヤー宮崎日香里(OVAL)からのサポート依頼である。大津市に本社工場を構え、新幹線や自動車などのリング製品を製造する企業にとって、長野県出身の宮崎とは特に接点はない。普通なら受け流すような案件だが、坂口康嗣代表取締役社長が待ったをかけた。

「いや、おもしろいんじゃないか」

 学生時代にフェンシングに情熱を注いだ自分と少し重なる部分があったのかもしれない。だが、最大の理由は別にある。数ある企業の中から宮崎がなぜ近江鍛工を選んだのかが重要だった。

「気候変動による雪不足がスキー選手にとって深刻な問題であることを知りました。我々も環境問題に力を入れている中で、その現状を見過ごすことはできないなと感じました」(坂口社長)

 2ヵ月後の23年7月にスポンサー契約を結んだ。以後、24年夏には社内イベントに宮崎が参加するなど交流を深めている。宮崎は「近江鍛工様は環境問題にとても熱心に取り組まれ、従業員の皆さんの雰囲気や情熱が私の背中を本当に押してくれています。スポンサーというよりは、共に世界へ向けて歩む仲間という認識です」と話す。

 近江鍛工のサポートを受けて北欧に拠点を移した宮崎は着実に成長し、今年2月の冬季アジア大会(中国)出場が決まった。26年ミラノ・コルティナ五輪での日本人初メダル獲得(クロスカントリースキー種目における)に向け、また一歩前進した印象だ。

挫折から奇跡のカムバック

 宮崎がオリンピックを意識したのは大学4年生の時だという。

「競技を始めた小学生の頃、世界トップの景色はどんな感じかな?と考えていました。その景色が見たくて頑張った結果、高校生の時には自分の想定していた以上の好成績を残せ、日に日に周囲の期待が高まるのがわかりました。応援が耐えられなくなって、未熟な私はスキーをすることがだんだん恐怖に変わっていきました。そして大学4年の際に競技から離れました。1年ほどファッションやカフェ巡りなど今までできなかったことに明け暮れていたのですが、ある日、何も満たされていない自分に気がつきました。私は何をしているのか。自問自答を繰り返す中で、私の中にある〝世界トップの景色を見に行きたい〞という強く、真っ直ぐな気持ちを発見しました」

 1年後に復帰したものの、周りの反応は冷ややかだった。1年も競技から離れた選手が簡単にブランクを埋められるほど甘い世界ではないからだ。だが、宮崎は持ち前の明るさとパワフルさで次第に雑音を静めていく。復帰2年目の2022年には周囲の予想を覆して全日本選手権5㎞クラシカル優勝という異例の結果を残した。

「ゴールの瞬間、たくさんの事が頭を駆け巡り胸がいっぱいになりました。うれし涙を流したのは本当に久しぶりでした! コーチと二人三脚でずっと取り組んできて、やっと練習通りのパフォーマンスが試合で出せたレースでした」

 さらなる高みをめざして、宮崎は世界の強豪選手が集う北欧へ拠点を移す覚悟を決める。そのサポート企業として白羽の矢を立てたのが近江鍛工だった。

「コーチからは世界と戦う上で海外が自分のホームだと思えることが大切だと言われていました。その地で生活し、その地で家族のような仲間を作り、視覚で見るフォーム、感じる体のリズム感を吸収し、全てを世界基準に持って行く必要があると。そのために北欧に拠点を移す必要がありました」

 ミラノ五輪出場は規定のレースで15位以内1回、もしくは30位以内2回が現時点での基準となる。

「出場することもハードルは高いです。でも、出るだけの記念で終わるだけでは意味がない。本番でベストパフォーマンスを出し、結果を残す準備をしていきます。ここからギアを上げ、技術面、メンタル面、フィジカル面を1段階、2段階と強化していきます」

 高い壁に立ち向かう宮崎に、滋賀からも熱いエールを送りたい。

宮崎日香里

OVAL

みやざき・ひかり。1998年8月21日生まれ、長野県出身。2015年ぐんま冬季国体 少年少女の部優勝をはじめ、2016年のインターハイクラシカル優勝、2017年から3年連続で世界ジュニア選手権出場など若くして脚光を浴びる。一時は競技から離れたものの、2022年の全日本スキー選手権大会5kmマススタート優勝などで見事にカムバック。2023年から北欧を拠点にミラノ・コルティナ2026オリンピックでの表彰台をめざしている。

関連記事