2021.07.16
カヌーの本質
日本選手権のエントリー用紙を記入してるとき、
年齢欄に「27歳」と記載したときに思いました。
歳を取ったなと。
アジア選手権を終えて
さて、前置きは置いといて7月11日に27歳になりました。
27歳の始まりと同時に東京五輪でスタートを切りたかったのが本音ではありますが、
5月のアジア大陸予選を惨敗で終えた自分に東京五輪はありません。所属の滋賀レイクスターズをはじめ、家族やたくさんの方々から応援をいただいていた中、期待に応えることができず申し訳ありません。
この場をお借りしてお詫び申し上げます。
勝利至上主義
5月のアジア大陸予選を終えてから、自分自身を見つめなおして再度選手としてのスタートを切るのに約6週間の時間がかかりました。
パリ五輪を目指すとなったときに見えてくる世界トップ層とのパフォーマンスの差、ここ数年の自分の成長具合などを考えていく中で「引退」も選択肢に入ってきました。
この東京五輪を目指す5年間、自分のカヌーは大きく変わりました。悪く言えば「勝利至上主義」なカヌー。勝てなければ続ける意味はないと。
勝たなければ五輪に出ることができないのはもちろんのこと。でも本当のカヌーの本質ってこういうものだったかなと。
カヌーでは隠せなかった嘘
カヌーが楽しいと口で言うことは簡単です。口は時には嘘を言うこともできる。
いつも自分のカヌーを「楽しそう」と言ってみてくれる人に数か月前に言われました。「今の浩陽のカヌーは苦しそう」と。
大学時代、自分自身に「トレーニングに行かなければ」という気持ちは一切ありませんでした。それにもかかわらず周りから Hardest Worker と思われるくらい気づいたら水上でカヌーを漕いでいました。
社会人になってから、確かに私のカヌーは心の底から楽しいといわれるものではなくなりました。スポーツにおいて勝利することは大切なことであり、目標を持つことは一つのモチベーションにもつながります。でもスポーツの楽しさの本質を忘れ、勝利に執着をしすぎることは選手としての、人としての崩壊につながりました。
着実にゆっくりと
アジア大陸予選から2ヶ月が経ち、今の自分は少しずつ自分のするべきカヌーの形を取り戻しずつあります。
まだもう少し時間はかかりますが、ゆっくりと時間をかけて『新岡浩陽のカヌー』を取り戻して、もちろんアスリートとしての人生を歩みながら、カヌーの楽しさをたくさんの方々に伝えていきます。
いつしか自分のカヌークラブが始動する日を夢見て。