2020.07.10
東日本大震災で生まれた絆 レイクスが地域と一体になれたシーズン #5
一滴のしずくはやがて川になり、大きなうみを形成する。滋賀レイクスターズもそうやって、故郷やバスケットを愛する者たちによって形を成してきた。この連載では、そんなバスケットマン(B-MEN)のサイドストーリー(B面)を軸に、レイクスの軌跡をひもといていく。
(構成・文:白井邦彦)
【B-MEN/B面】
第五回:東日本大震災
2010-2011SEASON MEMORY
初のプレイオフ・ホーム開催
bjリーグ参入3シーズン目のレイクスは初優勝が期待されていた。キャプテン藤原隆充、城宝匡史、ゲイリー・ハミルトン、マイキー・マーシャルら前シーズンの主力が残留し、新しく日本人初の得点ランキングトップ10入りを果たした岡田優(大津市出身)やジョシュ・ペッパーズというスコアラーも加入。ピンポイントでの大型補強に成功し、開幕ダッシュに成功した。
振り返ると、シーズン途中には石橋貴俊HCの契約解除など紆余曲折もあったが、最終的には西地区4位で初のプレイオフ・ホーム開催を実現。京都ハンナリーズとの激闘を制し、2年連続でカンファレンス・セミファイナルへと駒も進めている。
だが、やはり忘れられない、いや忘れてはいけないのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災だろう。レイクスに限らず、この時、日本のスポーツ界は真価が問われていた。
東日本大震災で生まれた絆
東日本大震災の発生を受け、bjリーグは翌3月12日・13日に予定されていたレギュラーシーズン2試合を中止した。
それを受け、レイクスはホームゲーム開催を予定していた彦根市民体育センターにて両日にわたり救援物資を募った。そして、これを機に支援活動を始めることになった。
翌週から、バスケットボール選手や棒高跳の我孫子智美、スタッフたちが街頭や試合会場で積極的に募金活動を行った。また、ブースター感謝祭の恒例行事である選手オークションの売り上げも義援金に充てた。チームとしてはホームゲーム残り6試合およびホームでのプレイオフを「復興支援ゲーム」として開催し、収益の一部を被災地および仙台89ERS支援金として送った。これらの募金活動で集まった復興支援金は917万586円。
(詳しくはこちら https://lakesnews.shiga-saku.net/e621081.html)
キャプテン藤原は「微力かもしれないけれど、決して無力ではないと思う。僕たちにできることをこれからも続けてやっていきたい」と話した。
その言葉通り、選手たちはオフシーズンに被災地へ赴き、炊き出しや物資輸送などの復興支援活動を行った。敬虔なクリスチャンで知られるレイ・シェファーは、大津バプテスト教会主宰のボランティア活動に参加。2011年5月9日~13日の5日間、福島県いわき市で“僕たちにできること”に従事した。被災地へと旅立つ前、彼はこう言い残している。
「勇気づけたり、何かを手伝ったり、バスケットボールを一緒にやったり、できることをしてくるよ。見てきたことをメールと写真で送るから、ブースターのみんなにブログで伝えてくれないか」
送られてきた写真には、被災の深刻さを伝えるものもあれば、現地で子供たちとバスケットボールを楽しむ姿もあった。
レイクスが被災地へ届けた物資は10tトラック4台分。ダンボール換算で約3700箱。レイクスブースターを始めとしたボランティア、近江高校の生徒たち、彦根市民体育センター、協賛企業各社など多くの方々に、荷物の仕分けや積み込み作業を協力していただき、届けることができた。この時に生まれた強い絆は、今もレイクスの基盤となっている。
また、震災により活動休止となった仙台89ERS、埼玉ブロンコス、東京アパッチの選手を受け入れる制度(選手救済制度)で、埼玉の寺下太基がレイクスにやってきた。この時の縁で、後に寺下はレイクスの一員となり、一つの時代を築くことになる。辛いことも多かった2010-2011シーズンだが、レイクスにとっては地域と一体になれた貴重なシーズンでもあった。(文中敬称略)
<2010-2011 SEASON>
ウェスタンカンファレンス4位(30勝20敗)
HC:石橋貴俊
根間洋一(代行)
♯0:マーキー・マーシャル
♯2:ゲイリー・ハミルトン
♯5:小川伸也
♯7:マイク・ミュラー
♯8:堀川竜一
♯9:岡田優
♯11:藤原隆充(キャプテン)
♯12:石橋晴行(AC兼選手)
♯13:寺下太基
♯30:ジョシュ・ペッパーズ
♯31:城宝匡史
♯33:ラマー・ライス
♯45:レイ・シェファー
♯91:佐藤浩貴