2017.02.11
日本体育大学 / 鈴木湧 / 体操競技
東京五輪で輝くために。今春から名門で切磋琢磨。
ケガに悩まされた競技人生
「ほっとしました」コナミスポーツクラブ(体操競技部)に内定した感想を聞かれた日本体育大学4年の鈴木湧は、にこやかな笑顔と一緒にそう答えた。「正直、大学では思うような結果が残せていなかったので、コナミに入れるかどうか微妙なところでした。だから、話をもらった時はうれしかったですし、これで東京五輪を目指せると思いました」順調に歩んできたように見える鈴木の競技人生だが、実は大ケガと向き合う日々だった。中学3年で膝を剥離骨折し、高校2年の冬には右の上腕二頭筋を断裂。大学3年の時はアキレス腱断裂で約1年を棒に振った。原因は過度の練習による肉体への負担。「昔から休 むと不安で、とにかく人よりも練習をしてきた」と鈴木は言う。 ケガの履歴書の中で、最も辛かったのが大学3年のアキレス腱断裂だったと振り返る。(進路を左右する大事な時期に)周りが練習している中で一人だけ松葉杖。足が使えないから上半身をメインにトレーニングはしていたけれど、昼休みも外出できずにずっと体育館にいると息がつまるというか、気持ちが滅入るというか。精神的にも辛かったですね」
世界の白井健三に学ぶ
鈴木は栗東高校から日本体育大学へ進学した。「高校の顧問からは他の大学も勧められましたが、直感みたいなものがあって日体大にしました」と言う。だが思うような結果が残せず。「自分の選択が間違っていたと認めたくなかった」こともあって、とにかく練習に練習を重ねる日々を送った。結果、身体が悲鳴をあげ、アキレス腱断裂を引き起こしてしまう。だが、この経験が後に好転のきっかけを生むことになる。「昨年5月の東日本インカレ団体戦で2つ後輩の白井健三(リオ五輪日本代表)と一緒に回りました。あまり後輩に相談はしない方ですが、アキレス腱断裂の件もあったので大会後に彼にコンディショニングについて聞きました。すると彼は〝ここぞという時だけ集中して練習する〞と答えました」それまでの鈴木は全種目の通し練習をほぼ毎日のように行っていたと言う。でも、白井は大会前などの必要な時だけ通し練習を行い、それ以外は種目を限定して練習していた。鈴木は、不安を覚えながらも思い切って白井の助言を実行し、練習量を減らしてみた。するとケガをしなくなっただけではなく、大会でも本来のパフォーマンスを発揮できるようになった。そして大学最後の全日本学生選手権の団体戦では準優勝に貢献し、コナミ入りが現実のものになった。「コナミはオリンピックを狙える選手しか周りにいない。4月からその環境で体操を続けるということは、自分もそういう立場にいるということだと自覚して競技を続けていくつもりです」2020年。金メダルをかじる鈴木の勇姿を楽しみに待ちたい。