2020.08.28
「B-MEN最終回」涙の新リーグ1部参戦 #12
一滴のしずくはやがて川になり、大きなうみを形成する。滋賀レイクスターズもそうやって、故郷やバスケットを愛する者たちによって形を成してきた。この連載では、そんなバスケットマン(B-MEN)のサイドストーリー(B面)を軸に、レイクスの軌跡をひもといていく。
(構成・文:白井邦彦)
【B-MEN/B面】
最終回:涙の新リーグ1部参戦
忘れられない2015年8月29日
気運は上昇。アリーナは難航
2015年5月。滋賀レイクスターズは歓喜と苦悩に直面していた。歓喜は有明ファイナルズ初進出。苦悩は5000人アリーナ問題。2016年秋から始まる新リーグ(Bリーグ)への気運が高まる一方で、1部参戦への活動は難航していた。
新リーグ1部のホームアリーナの条件が提示されたのは2015年3月4日だった。賛否両論があるなか、川淵三郎チェアマンは“5000人を収容でき、ホームゲームの8割をそのアリーナで開催できること”という条件を提示した。
そもそも5000人を収容できるアリーナの無い滋賀県にとっては、あまりにも高いハードル。新潟アルビレックスBBや大阪エヴェッサらが既存アリーナの確保でこの問題をクリアする中、レイクスはアリーナの新設や改築、増席など雲をつかむような途方もない難題にぶち当たった。
しかも、問題クリアまでのリミットは約5ヶ月。新リーグの第1次チーム振り分けが行われる7月31日までにアリーナの目処を立てる必要があった。レイクスはすぐに動いた。公式HPやホームゲーム会場、街頭などで署名活動を行い、新リーグ1部入りへの協力を呼びかけることになった。
川淵三郎チェアマンが来県
ホームアリーナの規定が発表された約2週間後。3月17日に、新リーグの旗手・川淵三郎チェアマンが滋賀県にやってきた。目的はレイクスの視察、そして地元自治体への協力要請。川淵チェアマンは、レイクスの坂井信介代表らとともに三日月大造滋賀県知事と会談し、草津市民体育館(現YMITアリーナ)の建て替えに伴う増席を提案していた草津市の橋川渉市長を訪ねた。
川淵チェアマンは、自ら関わったJリーグ誕生の秘話を引き合いに、レイクスの1部入りや5000人アリーナの必要性を熱っぽく語った。感触は上々だった。
そして、3月22日のホームゲーム、ライジング福岡戦では、坂井代表が約2,500人の観衆の前で1部参戦への強い決意を表明。5月中旬には滋賀県庁内に部署横断の「支援検討チーム」も発足。チームの有明初進出も重なり、新リーグ1部参戦への気運は大きな渦となっていた。5月29日には集まった19,404人の署名を三日月知事と橋川市長に手渡した。すべてが順調。あとは、アリーナ問題をクリアするだけだった。
その頃、アリーナ問題の現実的な解決策は、先述したように建て替え予定があった草津市民体育館(現YMITアリーナ)の増席だった。3000人収容の計画を5000人収容に変更するという案をレイクス側は提示していた。
ネックは増席に伴う費用だった。当初の計画から10〜20億円の追加が必要で、レイクスは県に支援を求めた。県庁の支援検討チームが議論を重ね、前向きに検討を続けてくれたが、6月末には財政協力ができないという結論に至った。
結局、アリーナ問題を解決できないまま、新リーグの第1次振り分け日(7月31日)を迎えることになった。
苦肉の策は、県立・立ち見席
7月31日の第1次振り分けの結果は“保留”だった。アリーナ問題以外が高く評価されたことによる特別処置だった。レイクスに最終結論が下されるのは、最終振り分けの8月29日。残り1ヶ月、草津市以外の自治体にも働きかけ、アリーナ問題を軸に協議を続けた。レイクスのスタッフ全員が必死だった。頭を下げてどうにかなるなら、いくらでも下げる覚悟だった。その熱意は各自治体にも伝わり、前向きな返事をもらった。だが、たった1ヶ月で行政が決断できるはずがなかった。
苦肉の策は“立ち見席”だった。滋賀県立体育館の席数を洗い直し、安全面に細心の注意を払いながら立ち見席を設け、5000人収容の許可を取得。それを新リーグへ申請した。1部参戦の可能性は五分五分。川淵チェアマンの判断に命運を託すことになった。
うれし泣きのレイクス事務所
8月29日は晴れていた。大津市にある滋賀レイクスターズの事務所には、1部参戦に向けて東奔西走したフロントスタッフたちをはじめ、レイクス三代目キャプテンの横江豊、レイクスチアリーダーズの川中尚子ディレクターと当時キャプテンだったカナコら関係者が集まっていた。
応接室の白壁には、東京で行われている新リーグ最終振り分けの模様がプロジェクターによって映し出されている。東京の会場にいた坂井信介代表から一報が入り、いよいよ振り分け発表が始まった。
川淵三郎チェアマンが1部参戦チームを発表していく。順番的にはもうすぐレイクスが呼ばれる番だ。いよいよ運命の瞬間。応接室に詰め掛けた新聞記者たちがカメラを構え、固唾を呑む。
そして会場のアナウンスに合わせて、川淵チェアマンが「1部 滋賀レイクスターズ」と書かれたボードを掲げた。その瞬間、応接室は一気に沸騰した。
この5ヶ月に全てを注ぎ込んできたスタッフたちは涙を抑えられなかった。抱き合う者、握手を交わす者、誰かに電話で報告する者…。横江や川中ディレクターら会場にいた全ての関係者が目頭を熱くさせ、カメラのシャッター音はしばらく応接室にこだました。
「1部 滋賀レイクスターズ」を掲げた川淵チェアマンの映像は、すぐに流れて消えていった。だが、あの日の熱量と、うれし泣きが溢れた光景はずっと目に焼き付いて消えることはない。
滋賀レイクスターズのB1リーグ挑戦が始まった記念すべき日。晴れた空はレイクスを祝福するように、どこまでも青く澄んでいた。(完)