2026.08.07
点が取れるDFへ。 目標は5得点。

滋賀県初のJクラブとして明治安田J3リーグに挑むレイラック滋賀FC。歴史を刻む記念すべき今シーズンのキャプテンを任されたのが鍋田純志だ。堅実な守備に定評のあるディフェンスリーダーは、選手として一皮剥けることでチームへの貢献度を高めようと決意する。
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〈Q〉再びレイラック滋賀に戻られた経緯を教えてください。
角田誠監督から「来てほしい」とオファーをいただき、選手として信頼されていると感じたのが大きいです。正直、25年にレイラックに来た当初はJFL(アマチュアリーグ)かぁと思っていましたし、自分のサッカー人生を考えると、J3に昇格していなければ再びレイラックでプレーすることはなかったかもしれません。でも、25年の終盤にはレイラックが好きになっていましたし、チームに残りたかった。だから、J3・JFL入替戦は怪我で出られませんでしたが、ピッチの外で〝頼む、昇格してくれ〞と祈っていました。
〈Q〉26年前期のJ2・J3百年構想リーグでは、カターレ富山に復帰されました。
とりあえず百年構想リーグは〝戻って来い〞と言われて。本当はレイラックで戦いたかったんですけど、チーム事情もあると思いますので、富山に戻りました。
〈Q〉レイラックのキャプテンはどういう経緯でなったのですか?
新体制会見の前日に角さん(角田監督)から言われました。
〈Q〉急過ぎませんか(笑)
急ですよね(笑)。それよりも、正直、なんでオレ?って感じでした。
〈Q〉キャプテンは桐蔭横浜大学の頃にも経験されていますね。
大学の時は、随分と前からキャプテンやるんやろうなとは思っていたので、驚きはなかったです(笑)。3年の頃から試合に出ていて、ポジション的(センターバック)にも声を出すタイプではあったので予想ができました。でも、4年生の時に前十字靭帯を損傷して、ほとんどプレーできなかったので、キャプテンらしいことは何もできなかった。
〈Q〉その1年をリハビリに費やし、もう1年を大学で過ごしてプロの道を切り開いたそうですね。
ええ。大学に残らせていただき、すごく感謝しています。でも、あの1年はすごく難しかったですね。同級生は卒業していますし、僕が部に残ることで試合に出られない後輩も出てくる。立ち位置が難しい1年でした。
〈Q〉それは複雑ですね。そういう経験をされた鍋田選手だからこそ、見えてくる理想のキャプテン像もあるのでは?
ん〜。まぁ理想を言えば、ピッチ内外で声をかけて、先頭に立ってチームを一つの方向に向けられるキャプテンですね。キャプテンではなかったですが25年の在籍時の自分を見て、角さんも選んでくれたと思うから、そこに近づけるようにはなりたい。ただ変に気負わずにやれたらなとは思う。レイラックがJ3に昇格した時は一体感があって、メンバー外の選手たちが練習で手を抜かないし、出ている選手たちを応援できていた。そういう雰囲気になれれば昇格できるんだなって感覚もつかめたし、今年の選手たちはそれを経験している。自分が引っ張るというより、みんなであの雰囲気を作っていきたい。
〈Q〉チームの目標は「勝点50」だと思いますが、個人の目標はいかがですか?
目に見える結果を残したいです。25年は、途中からレイラックに来て2ゴールを挙げた。周りからすごいねと言われましたし、やはり点が取れるディフェンダーは評価が上がると思います。なので、5ゴール。レイラックには優れたプレースキッカーがいるので、セットプレーではどんどんゴールを狙っていけると思います。僕のゴール、いやレイラックの勝利を見に、ぜひスタジアムに足を運んでほしいですね。

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鍋田 純志
なべた・あつし。2000年1月2日生まれ、富山県出身。水橋高(22年に閉校)から桐蔭横浜大学を経て、2023年にJ3カターレ富山に加入。22年に前十字靭帯損傷の大怪我を負い、大学卒業を1年送らせてプロの世界へ進んだ苦労人として知られる。25年途中にレイラックに期限付き移籍加入。J3昇格に貢献し、翌26年の前期は富山に復帰してJ2・J3百年構想リーグを戦う。26年後期にレイラックへ復帰した(期限付き移籍)。








