2021.09.06
4度目の大舞台 悲願の金メダルへ 木村敬一
努力でつかんだメダル6つ
2歳で視力を失った木村敬一(東京ガス所属)は10歳の頃に彦根のスイミングスクールで競泳を始めた。最初から速かったわけではなく、本人も「特別なものはなかった」と認める。のちに日本のエースへと駆け上がる盲目のスイマーは、いわゆる努力の人だ。
小学校(滋賀県立盲学校)を卒業した木村は、故郷を飛び出し筑波大学附属視覚特別支援学校へ進学する。そして中学2年の時にアテネ2004大会の日本代表が集う合宿に参加。代表選手とのスピードの違いに驚き、パラリンピックを意識するようになった。
「僕がプールを1往復する間に、代表選手たちは2往復。これは段違いだなと。あんな風に泳ぎたい。この経験が(選手としての)僕の原点です」
その後、猛練習を積んだ木村は、高校時代に北京2008大会、日本大学在学中にロンドン2012大会、東京ガス入社後にリオ2016大会と3大会連続でパラリンピックに出場する。獲得メダルは計6つ。名実ともに世界トップスイマーになった。
盛り上がりの輪の中に
リオ2016大会の後、木村は2018年から練習拠点をアメリカに移した。まだ手にしていないパラリンピックの金メダルを獲るために、必要な選択だったと振り返る。「リオ2016大会では、すごく頑張ったつもりだったんですけど金メダルには届かなかった。あれ以上に、もっともっと頑張らないといけないのかと思うと、ちょっと嫌だなぁと…。
同じ環境ではもう続けられない。でも何かを変えれば、気持ちをゼロに戻して頑張れるんじゃないかと思った。東京2020大会で、再び金メダルをめざすには、気持ちをリフレッシュさせる必要がありました」
単身でアメリカに渡った木村は、言葉が思うように伝わらない世界に身を置き、競技以外の炊事洗濯など生きるための全てを自分で行う環境で2年を過ごした。この時に育んだのが自己肯定感だったと言う。
「アメリカでは言葉がわからなかったり、近くに友だちがいなかったりする中で自分は生きている。考えてみたらすごいことやっているなって思えるようになりました。自己肯定感というか、自分で自分を褒められるようになったら、人生がいつの間にか楽しくなっていました」
アメリカで競技生活のリフレッシュに成功した木村が、東京2020大会でめざすものは「まだ獲れていない金メダル」。そして「日本人の一人として、東京2020大会の盛り上がりの輪に加わっている」ことを強く願っている。
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木村敬一
東京ガス
きむら・けいいち。1990年9月11日生まれ、栗東市出身。東京ガス所属。パラリンピック出場は今回の東京2020大会で4度目。ロンドン2012大会は2つのメダルを獲得し、前回のリオ2016大会では銀メダル2つ、銅メダル2つを獲得。171㎝、66㎏。