2021.02.17

遠藤泰司の陸上人生 高校生ver.

遠藤泰司の陸上人生 高校生ver.

みなさんこんにちは。
滋賀レイクスターズサポートアスリート、新日本住設所属、陸上競技の遠藤泰司です。よろしくお願いします。

前回のエッセイでは、僕の小・中学生時の陸上人生について書かせて頂きました。
*小・中学生はこちら! → https://lakesmagazine.jp/2021/01/14/lav0090/
それに引き続き今回は高校の陸上人生について書かせて頂きたいと思います。

僕は大阪桐蔭高等学校に入学しました。ご存知の方も多いかと思います。通学は練習時間的に厳しく、寮生活をしていました。
入学時、同期や先輩の成績を聞くと、僕は出場すらできなかった全中で入賞、そして優勝したという選手もいました。こんなにも強い選手の中に混じって練習するのかと、楽しみと不安が同時にありました。

大阪桐蔭陸上部の練習はフィジカルを高める練習であり、高校生にとても重要である基礎練習が固められています。当時ヒョロヒョロだった僕は周りの選手に負けじと練習し、入学時、走り幅跳びの自己ベストが6m59cmであったのが6m96cmと37cmベストを更新することができました。その時、この練習は僕に合っているのだと確信しました。

高校2年時。4月にベストを出し、7mジャンパーに。大阪府大会、近畿大会共に優勝を果たすことができました。しかしインターハイでは9位。この舞台で当時のベストタイ(7m29cm)を跳んでいたとしても7位。これが全国かと思い知らされると同時に、来年絶対優勝してやると強く思いました。

しかし、高2の冬で前腿を怪我してしまい、そのまま高校ラストシーズンに。大阪府大会、近畿大会と2位(1位は大阪桐蔭のチームメイト)。
そしてインターハイでは最終跳躍で一時はトップに立つも、そのチームメイトに再逆転を許してしまい2位に終わってしまいました。優勝したチームメイトはインタビューがあったので僕は先に退場したのですが、そこには猛暑の中応援してくれていたチームメイトが。3年間切磋琢磨して一緒に練習してきた同期、試合のサポートをしてくれた後輩、コーチの「よく頑張った」の言葉に感動し、9年間陸上をしていて初めて涙を流しました。という僕の高校陸上人生でした。

親元を離れ寮生活。不安でいっぱいの中から始まった高校生活。全中にも出場したことなかったが高校では全国2位。もう一息だったがお前はよく頑張った。
5年後の遠藤泰司より。

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