2020.01.04
【創刊100号特集】時代を築きし者たち[アスリート編]①
時代とは少しずつ何かを積み上げ、振り返った時に存在する結果である。
アスリートたちの戦績もしかり、レイクスマガジンもしかり。
創刊100号という時代をともに築いてきた者たちへ。
感謝の気持ちを込めて足かけ10年の湖国スポーツを振り返る。
【FILE01】陸上競技・男子短距離
[日本生命所属]桐生祥秀
2020年という勝負の年に“ゾーン”を味わいたい
人生を変えた10秒01
2019年12月7日、東洋大学川越キャンパス。この日、男子100mで日本人初の9秒台(9秒98)をマークした桐生祥秀(日本生命)がメディア向けの公開練習を行った。
詰めかけたメディア関係者は50人強。相変わらず、彼の周りには多くの人が集まってくる。
ふと思う。桐生がこれほど注目を集め始めたのはいつからだろうか。洛南高校2年の時、岐阜国体で10秒21のユース世界最高記録を塗り替えた頃だろうか。あるいは、翌月のエコパトラックゲームズで10秒19という自己記録を更新した時…。劇的に人生が変わったタイムはどれか、まずは素朴な疑問をぶつけてみた。
「その時々でターニングポイントになるタイムがあるので選ぶのは難しい」と前置きした上で、桐生はこう続けた。
「でも、やっぱり10秒01ですね。高校3年の織田記念。それまでの競技人生がガラリと変わりました。僕の認知度が上がり、周りの大人の反応が変わった。リオデジャネイロオリンピックの4×100mリレーで銀メダルを取った時は、日本での陸上競技の認知がちょっと上がったと思いますし、桐生祥秀の認知度もさらに上がったと思います。でも、10秒01は特別です」
レイクスマガジンで桐生が初めて表紙を飾ったのも、このタイムを出した翌月である。本誌的には、かなり思い出深い発行号だが、桐生は「ほぼほぼレースの中身は覚えていません(笑)」と話す。「というよりも、過去にはあまり興味がないんです。現役の選手なので。昔の話は現役を引退してから語っていきたいです」
滋賀はゆるい。それがいい。
と、一度はピシャリと昔話を拒否されたものの、滋賀の話についてはしっかりと話してくれた。
年末年始は帰郷し、友人と食事に行くこと、初詣のこと、新年初トレーニングのこと…。桐生にとって滋賀が大切な場所であることは十分に伝わってきた。
中でも、話を弾ませたのは国体の滋賀リレーチームについて。「最初にリレーメンバーの声をかけてもらったのは中学(彦根南)の時ですね。高校は京都だったので別ですけど、大学の時は毎年、声をかけてもらっていました。国体は10月と遅く、僕のシーズンは終わっているから、なかなか参加できなかった。でも、これだけ声をかけてもらっているので、1回くらい走ってみようかなと思って参加させてもらいました」
それが2015年の和歌山国体。中学時代はケガで走れなかった桐生にとって、これが滋賀のゼッケン”25”を背負って走る初めての機会となった。
「(感慨深いものがあった?)特にないですよ(笑)。個人ではなくリレーだったので。みんなで集まって、ワイワイやって、お祭りのような気分で楽しみました。滋賀はみんな仲がいいですしね。京都では結果を求めてしっかりとやり込みますけど、滋賀はそんな雰囲気ではなくアットホームな感じ。先輩後輩の上下関係もゆるい(笑)。コーチもみんな楽しんでやっていて、滋賀は楽しいですし、気持ちもリフレッシュできました」
滋賀国体は走りたい
滋賀のいい雰囲気に触れられる国体が、2024年には滋賀で開催される。しかも、陸上競技のメイン会場は桐生の思い出が深い彦根総合運動場陸上競技場。「もし、誘ってもらえるなら出たい」と話す。
「地元国体だけポッと帰ってきやがって…と思われるかもしれないですけど、それでも誘ってほしいです。大津の皇子山じゃなくて、生まれ育った彦根ですし、家から自転車で通っていた思い出のいっぱいある競技場。それが今、国体に向けて新しく建て替えられているわけですし、あの競技場には帰りたいと思いますね」
この競技場での思い出の一つが、中学時代の通信陸上リレーだと言う。全国大会をかけた一発勝負のリレーは例年熱いドラマが生まれる。しかも、滋賀のリレーは男女ともに全国トップクラスで「僕らの頃も盛り上がっていました」と桐生は振り返る。
「でも、今の方が滋賀の子たちが全体的に速いので、昔よりも盛り上がっていると思います。県内だけではなくて、近畿でも全国でも滋賀の選手が活躍していますし、盛り上がっていますよね」
中学だけではなく、高校でも滋賀出身選手の活躍が目立つ。2019年のインターハイでは、草津市出身の藤原孝輝(洛南高校2年)が、走幅跳で高校生初の8mジャンパーとなって話題を集めた。
「藤原くんもそうですけど、やっぱり滋賀県出身の選手が活躍するとうれしいです。僕が中学生の時は、大学生に小谷(優介)さんがいて、男子100mで日本のトップを争っていました。すごく上の方にいる選手でしたけど、滋賀県の選手として話ができるようないい関係性がありました。今は立場が巡って僕が上の方にいますから、今度は僕が中・高生に話しかけていい関係を作りたい。そういう流れが滋賀にはありますし、つなげていきたいです。僕の競技人生は滋賀から始まっているので、そこは意識してやっていきたいと思います」
感覚+結果=ゾーン
滋賀への思いを熱っぽく話してくれた桐生。2020年についても、熱い思いを持っているようだ。
「今年は日本選手権で優勝して、しっかり五輪切符をとって、そこから1ヶ月後の東京オリンピックに向けて最高の状態を作りたい。2019年の世界陸上の男子100mでは準決勝で敗退しましたけど、今度は決勝に残って”勝負”します。リレーも個々の能力をもっと上げないと現時点で金メダルはちょっと遠いかな。アメリカ、イギリスを抜くには、僕自身ももっと速くならないといけないと思います」
大一番で最高のパフォーマンスを出すには、やはり極度の集中力から生まれる”ゾーン”状態を作り出す必要があるのかもしれない。おそらく、2017年に日本人初の9秒台(9秒98)を出した時は、ゾーンに入っていたはずだ。
「いや、普通でしたよ(笑)。全然、普通(笑)。試合中にゾーンに入ったことは一回もないです。よくスローモーションのようにとか、自分の動作が…とか言われますけど、いまいち分からないです。集中して走っていることがゾーンというなら、経験はあります。自分の動きができているなって感覚もある。でも、その時に記録がめちゃめちゃ良かったかと言えばそうではない。結局、スポーツ選手は結果が全てなので、いくら感触がよくてもタイムが速くなかったらその時はゾーンではないのかなと。9秒98の時は、感覚は普通だけど、結果は出たという感じです。感覚と結果が一致して初めてゾーンだとするなら、僕はゾーンがまだどれか分からないです。全てスローに見えて、自分で動きも全部わかっていて結果が9秒80とかなら、間違いなくゾーンに入っていたと言えるかもしれません。どこかでゾーンを味わいたいですし、それが2020年なら最高だと思います」
レンガを積み上げるように、一つひとつタイムを更新してきた桐生。彼にとって9秒98は、これから積み上げるレンガの土台の一つに過ぎない。”ゾーンが分からない”とは、未知の可能性が残っていることを意味している。
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桐生 祥秀
日本生命所属
Profile/きりゅう・よしひで。1995年12月15日生まれ、彦根市出身。彦根市立南中学校、京都・洛南高校、東洋大学を経て日本生命へ。高校2年の岐阜国体で10秒21のユース世界最高記録を塗り替え、高校3年の織田記念で10秒01という当時日本歴代2位のタイムを叩き出し、一気に注目の的に。大学時代には2016年リオデジャネイロオリンピック4×100mリレーで銀メダル獲得。翌2017年には日本人史上初の9秒台となる9秒98を記録。176㎝、70㎏。