2020.06.19

滋賀レイクスターズ初代ヘッドコーチ ロバート・ピアス #2

一滴のしずくはやがて川になり、大きなうみを形成する。滋賀レイクスターズもそうやって、故郷やバスケットを愛する者たちによって形を成してきた。この連載では、そんなバスケットマン(B-MEN)のサイドストーリー(B面)を軸に、レイクスの軌跡をひもといていく。

(構成・文:白井邦彦)

 

【B-MEN/B面】
第二回:ロバート・ピアス
滋賀レイクスターズ初代ヘッドコーチ

 

豊かな人脈

2008年4月23日。ロバート・ピアスのヘッドコーチ就任記者会見が行われた。その場で彼が語った理想は「The smart takes from the strong.(賢きものは強きものをくじく)」チームを作ること。5カ国語をあやつるエリートらしい言葉だった。


コートサイドで熱くなるロバート・ピアスHC

ピアスはアメリカのオレゴン州の出身。早い段階から指導者の道を目指し、大学卒業後にはラ・ミラダ高校のコーチとしてキャリアをスタートさせた。そして、いくつかの高校や大学を経て1997年に来日。日立ライジングサン(現サンロッカーズ渋谷)や東京エクセレンスなどでキャリアを積み、2002年には日本代表のアシスタントコーチとしてアジア大会に出場している。2005年から2007年にはNBAクリーブランド・キャバリアーズのアジア地区スカウトも担当。人脈が手薄の新規参入チームにとって、彼は打って付けの人物だった

引き出し多数

ピアスは気さくな人柄もあって、ブースター人気も高かった。行きつけのカフェで声をかけられると、喜んでサインや握手に応じた。ピアスも滋賀が気に入ったようで、メディアから滋賀の印象を聞かれると、口癖のようにこう話した。

「シガノミナサン、トテモ、アタタカイネ」

だが、コート上では別人だった。一喜一憂を体で表現し、選手が大事なフリースローを外すと頭を抱え、ベンチで激昂することもあった。特に副キャプテンのライアン・ロークには厳しかった。不甲斐ない敗戦の後には、名指しで「ライアンのシュート確率が低かった」と振り返ったこともある。信頼の裏返しでもあるが、とにかくバスケットに対してピアスは妥協という文字を知らない鬼だった。

副キャプテンのライアン・ローク

そんなピアスが、メガネを曇らせ、手放しで喜んだ勝利がある。2009年2月7日、bjリーグ3連覇中の大阪エヴェッサを84-78で下したメモリアルゲームだ。
試合後、ピアスは興奮を抑えきれないのか、英語で喜びをまくし立てた。レイクスの成長を共に見てきた通訳は、それを訳している途中に言葉を詰まらせた。

「開幕戦で完敗した大阪に勝つことができた。目標にしてきた大阪に勝てたのは選手だけではなく、スタッフやフロントの支えが…」

嗚咽する通訳の肩にピアスは手を回し、少し困ったような表情を浮かべながらウンウンとうなずいていた。

ピアスがレイクスを指揮したのは2年間である。2年目にはプレイオフ進出へ導くなど結果も残した反面、レイクス独自のスタイルを構築できたかというと疑問が残った。賛否両論あった中で、結果的にピアスとは契約満了となった。ただ、決してピアスに手腕が足りなかったわけではない。むしろ、チームを去ってから有能さに気づいた部分もある。選手兼アシスタントコーチだった石橋晴行が、こんなコメントを残している。

選手兼ACを務めた石橋晴行

「いなくなって初めて、ピアスさんは“引き出し”が多い人やったんやなと思うことがある」
引き出しとは戦術だけではなく、練習のバリエーションや選手にモチベーションを維持させる術など総合的なものを指していた。
ロスターの大幅変更で1からの出直しとなった2年目。彼はその多彩な引き出しを駆使し、レイクスを初のプレイオフ進出へと導くことになる。(文中敬称略)

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