2019.02.16

侍バスケットボーラーから警察官へ/菅原洋介(元滋賀レイクスターズ選手)

 1月中旬、滋賀レイクスターズが発表した1通のリリースは多くのバスケットボールファンを驚かせた。菅原洋介の現役引退。昨シーズン終了後、表舞台から姿を消していた男は、必死の勉強で難関の採用試験を突破。晴れて今春から兵庫県警の警察官として第二の人生をスタートさせるという。JBL、bjリーグ、そしてBリーグと渡り歩く一方で、毎年オフには米国挑戦を続けてきた。プロにこだわったバスケ人生を送ってきた菅原のセカンドキャリアの選択に迫った。

 菅原のバスケ人生は、どちらかというと〝アウトロー〟なイメージだった。早稲田大卒業前に渡米し、独立リーグABAの球団とプロ契約。1シーズンを終えて帰国してからは、レラカムイ北海道(現レバンガ北海道)、琉球ゴールデンキングス、大阪エヴェッサ、群馬クレインサンダーズ、滋賀レイクスターズと多くの球団を渡り歩いた。一方で、オフは必ず米国に行き、本場のプロ契約のチャンスを伺い続けてきた。

【菅原】 僕の人生プランはただ一つ。海外で活躍できる選手になり、バスケットボールを通じて日本人として海外で名を残し、バスケットボールの楽しさを得る事。それだけでした。
引退を考えるようになったのは家族ができたことも大きかったかもしれません。子供も授かりましたが、ずっと単身赴任で離れ離れでした。「もう海外には行けない」と考えるようになったことが、大きな決め手きっかけになったと思います。

 それにしてもそれも警察官への転身は意外だった。大学時代に教員免許は取得していたという菅原。教員であれば、指導者として関わり続けるという道も開ける。バスケ選手のセカンドキャリアとしては、比較的メジャーとも言えるルートだ。だが、海外挑戦という道なき道を追い続けてきた男の選んだ道は違った。

【菅原】私の独自のキャリアで蓄積されたものは育成や環境整備ではありませんでした。色々な現場で多くの経験をしたからこそ、更に違う職業に行く事でより自分を成長させる事が出来ると思いました。

 次の道を考えるにあたり思ったことは、まず第1に「人の役に立つ仕事をしたい」ということでした。日本という国をより良くするためには今の自分に何が出来るか。今まで自分が経験してきたバスケというチームスポーツで得た事を最も活かせる仕事は何かと考えた時、小さな頃から憧れていた警察官を目指してみようと思いました。

 Bリーグになって滋賀に入団し、1シーズン目の前半戦を終えた辺りから現役引退を考えていました。公務員試験の準備を始めたのは2シーズン目の頭からですね。通信制講座が中心でしたが、参考書ももちろんたくさん買いました。数的処理という分野が全く理解出来ず、実は一度は試験に落ちているんです。そこから予備校にも通いました。
 冗談抜きでとても苦労しましたね。一切優遇を受けない一般の方と同じ試験を受けたので、自分の知識の無さを痛感致しました。正直言うと試験に合格出来た事が信じられないですね。

 元バスケ選手として採用された訳ではない。入庁後は警察官としてのキャリアを築くための毎日が待っている。ただ、バスケから完全に離れる訳ではない。今後はアマチュアとして、阪神地区に新たに誕生する3人制バスケ(3×3)に選手や運営側として関わっていくプランも持っているという。

【菅原】 多くのファンに支えられ、多くのチームメイト、スタッフ、関係者の方々に色々な事を勉強させて頂きました。幼少期からバスケのプロになって海外で結果を残すことを目標に掲げ、ひたすら1日1日を精一杯生きてきました。結果目標を果たす事は出来ませんでしたが、それ以上に多くの事を得たと思います。口で言うのは簡単ですし、失敗しても何も得る事は出来ません。一方で行動を起こして失敗をしても多くの情報と感情を得る事が出来ました。
 それを具体的に説明してと言われれば感謝という言葉に尽きます。ファンの方々には本当に感謝しています。必要とされる喜びはなにものにもかえることができません。新天地でも自分を今まで支えてくれた人への感謝の気持ちを忘れず、精進して参ります。

菅原洋介

1983年9月25日生まれ、北海道江別市出身、東海大四高→早稲田大→サンノゼ・スカイロケッツ(2006-07)→レラカムイ北海道(2007-08)→琉球ゴールデンキングス(2008-10)→静岡ジムラッツ(2010-12)→琉球ゴールデンキングス(2012-13)→大阪エヴェッサ(2013-14)→群馬クレインサンダーズ(2014-16)→滋賀レイクスターズ(2016-18)、186㎝/83kg

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