2021.01.14
遠藤泰司の陸上人生 小・中学生ver.
遠藤泰司の陸上人生(小中学生ver.)
明けましておめでとうございます🎍
滋賀レイクスターズサポートアスリート、新日本住設所属、陸上競技の遠藤泰司です。よろしくお願いします。
今回から3回に分けて、小学生から大学生までの僕の陸上人生を皆さんに知ってもらおうと思います。
今回は、小、中学生時のお話をさせて頂きます。
僕は小学4年から陸上を始めました。きっかけは近所の立命館大学でクラブチームがあったから。そして小学生時は学内で負けなしだったから✌🏼
小4、小5と短距離をしていたわけですが、小6時にコーチに、走り高跳びをしてみないかと勧められました。言われるがままにしてみると県で優勝。日清の全国大会に出場することができました。(47位中27位くらい)
中学でも高跳びをしよう!と決心したわけですが、、
僕の中学で高跳びをしていたのが女性しかいませんでした。当時思春期だった僕はその中に混じることができず、再び短距離に戻ることになりました。笑
入学当時100m15秒でしたが、中1で13秒5、中2で12秒3までタイムを伸ばすことができました。
そして時は中学3年生。この年に顧問のコーチが変わり、そのコーチに200mか走り幅跳びをしてみないかと勧められました。
記録会に出場すると200mは23秒2、走り幅跳びは6m12cmでした。その試合を見てコーチは走り幅跳びの伸び代を感じてくださり、幅跳びを勧められました。コーチがそうおっしゃるならと、幅跳びをすることに。
すると次の試合で6m20cm、その次の試合では当時の全国大会に出場するための標準記録(6m50cm)に迫る6m49cmを跳躍。県で優勝。わずか1cm足らずで全国大会に出場することはできませんでしたが、近畿大会に出場が決まりました。
近畿大会では6m34cmで5位でしたが、その近畿大会で、我が母校のコーチが僕のことを推薦。こうして大阪桐蔭高校に進学することに。
中3時のコーチが僕に幅跳びを勧めていないと今の僕はいないということになります。
(次回、高校編)