2020.07.06
2020年度 新たな所属 陸上競技選手 西村顕志・瀬古優斗
所属選手2人、サポートアスリート5人を新たに迎えた2020年度のレイクスアスリート。
ニューカマー(新加入選手)を中心に、彼ら・彼女らが歩んできた道、そして想いをつづる。
2020年度からレイクスには所属選手2人が仲間入りした。1人は過去にも登場した走高跳の瀬古優斗(中京大学卒)。昨年の日本選手権5位入賞を果たした大津市出身のトップアスリートだ。そして、もう1人が長浜市出身の西村顕志(富山大学大学院卒)。100mで日本人初の9秒台をマークした桐生祥秀と同学年のスプリンターである。彼らを紹介してくれるのは、レイクス所属4季目の石塚。対談は、同じ短距離走の石塚と西村による滋賀の中学男子100m談話から始まった。
もう一人の10秒台
〈石塚〉 私が中学3年の時、1学年下に桐生祥秀くん(日本生命/当時彦根南中学)という〝バケモン〞が現れた。うわ〜と思っていたら、高校1年の時には桐生くんと同じ学年にもう一人ヤバイ中学生がいると聞かされた。しかも、その子は陸上部員じゃなく、夏季総体で10秒台をサッと出してパッと帰ったらしいと…。自分が中学3年の頃は11秒00が県の中学記録だったのに、その壁をいきなり2人も超えてしまった。それが今、目の前にいるこの人です(笑)
〈西村〉 はい、僕です(笑)。もう少し詳しく言うと、中学3年の春季総体で桐生くんが10秒95で県中学記録を塗り替えた。そして夏の通信陸上の予選で僕が10秒97を出した。これがその時の大会新記録。でも、次の組で桐生くんが10秒87を出して、あっさり僕の大会記録を塗り替えてしまった。ちなみに、その年の通信陸上の記
録では桐生くんが全国1位、僕が全国2位。わずか3分だけですけど、僕は全国1位になっていた。幻の全国トップです(笑)
〈石塚〉 当時は野球部所属だったと聞いていますが…。
〈西村〉 その通りです。実は10秒台を出した通信陸上と同じ日に野球の試合も入っていました。たまたま通信陸上の予選が午前中、野球の試合は夕方だったので100mの予選だけ参加しました。先生から「予選で全中参加標準記録を切ってこい」と言われ、わかりました!と走ったら10秒台。これで全中への出場権を得たので、すぐに野球の試合に行きました(笑)
〈石塚〉 いや〜、ほんまにサッと出してパッと帰ったんやなぁ(笑)。少しその時代背景を振り返ると、僕の1つ上の木村茜さん(当時中主中学2年)が全中で入賞されて、同じ年に滋賀選抜(男子)がJOCジュニアオリンピックの4×100mリレーで優勝(大会新)した。その時のメンバーには中学1年の私、石塚少年もいる(笑)。そのあたりから滋賀の短距離界が注目されはじめ、桐生&西村、そして現在へと流れがつながっていった。〈西村〉 自分は野球部だったので、あまりそのあたりの事情は詳しくないですが、僕が高校の頃は滋賀の短距離界は暗黒期でした(笑)。桐生くんをはじめ、滋賀ビッグ4と呼ばれる選手たちが京都の洛南高校に行ってしまって…。僕は虎姫高校で陸上競技部に入ったけれど、高校時代のベストは10秒85止まり。結局、インターハイにも出られませんでしたからね。
瀬古も高校時代は暗黒期
〈石塚〉 短距離界が湧いていた頃、瀬古くんはどんな状況だったの?
〈瀬古〉 僕は西村さんよりも2学年下なので、雲の上の話というか。種目も違いますので、スタンドから観戦し「うわ〜速いなぁ」と眺めていた感じです(笑)
〈石塚〉 走高跳の瀬古くんとは、実はレイクスが初対面で、会話もレイクスの事務所が初めて。種目が違うと、交流がないものやね。
〈西村〉 僕も瀬古くんの存在は知っていましたけど、話すのはレイクスに来てからが初めて。走高跳の状況がわからないけれど、瀬古くんが憧れていた選手はいるの?
〈瀬古〉 滋賀では國本拓志さん(元チームMTF)ですね。県の大会で見ましたけど、一人だけ異次元の跳躍をされていて、カッコ良すぎやろー!と思いました。憧れというよりも、ただただスゴイなと。驚いたのは、ハイジャンスパイク(走高跳用の靴)を履いていないこと。ピンが付いていない、陸上を始めた中学生が最初に買うよう
なスパイクで2m25とかを普通に跳ばれていた。これはヤバイなと。
〈西村〉 走高跳では國本さんの次が瀬古くんみたいな感じ?
〈瀬古〉 いえいえ。1つ上には荻野海翔さん(元レイクス・サポートアスリート)もいらっしゃいますし、短距離走と同じく、歴史の積み重ねがあります。
〈西村〉 確か、瀬古くんは草津東高校を一般入試で入って、そこから這い上がったんだよね。そして、名門・中京大学では走高跳のパート長にもなって、昨年は日本選手権5位入賞。かなり努力したんだろうなぁと思うと頭が下がる。
〈瀬古〉 恐縮です(笑)。でも、西村さんと同じく、高校時代は低迷期でインターハイにも出ていません。
〈西村〉 いや〜、レイクスで同期がいただけでうれしいのに、歩んできた境遇も似ているなんて…(笑)。瀬古くんがいて、本当によかったと思う。
〈瀬古〉 僕も西村さんがいて、本当にうれしく思いました。
きっかけは陸上スクール
〈石塚〉 西村くんは富山大学(大学院も含む)、瀬古くんは中京大学(愛知)。しばらく滋賀を離れていたから、レイクスのことはあまり知らなかった?
〈西村〉 バスケットボールチームがあるのは知っていました。高校生の頃は、BBC(びわ湖放送)で試合も見ていましたから。我孫子さんがいらしたので、なんとなく陸上もあるのかなという認識でした。
〈石塚〉 なるほど。今回は滋賀県が行なっている「SHIGAアスリートナビ」の仲介でレイクスに入ったわけだけど、いろいろと選択肢があった中でレイクスを選んだ理由は何だったの?
〈西村〉 陸上スクールをやっているというのが決め手でした。レイクスから話をいただいた時に、教育的なアプローチを入れて陸上スクールを発展させたいと聞きました。富山大学で教育を学んでいましたし、大学院も教育学を専攻していたので、その経験を生かせる職場かなとも思いました。大学では地域と連携して陸上スクールも運
営していましたし、もし就職先にスクールがなかったら自分で立ち上げようとも考えていました。だから、競技も続けられて、陸上スクールに関われるレイクスは理想的な職場でした。
〈石塚〉 相思相愛という感じやったんやね。瀬古くんはどう?
〈瀬古〉 僕はまず競技を続けるという観点でレイクスに魅力を感じました。我孫子さんが競技を続けられているのを知っていましたから。で、ご縁があって面接をしていただいた時に、陸上スクールで指導に関われるチャンスがあることを知りました。大学ではスポーツ科学を学んでいましたし、将来的には指導者の道も考えていたので、やはり陸上スクールは魅力でした。
〈西村〉 ちなみに石塚さんは、どうしてレイクスだったんですか?
〈石塚〉 自分がレイクスに入ったのは、ちょうど陸上スクールを立ち上げようとしていた頃。お世話になっていたトレーナーさんがたまたま我孫子さんと同じで、その方から「我孫子が陸上スクールを立ち上げるのに人を探しているらしいよ」と聞いたのがきっかけ。え、陸上スクールを仕事にできんの?と驚いた記憶がある。大阪体育大学の大学院へ進む選択肢もあったけれど、子どもたちを教えたいという気持ちの方が強かった。我孫子さんにレイクスとつないでいただいて入ることができた。
〈西村〉 じゃあ、みんな陸上スクールが決め手だったわけですね。
自立と誇りを育てたい
〈石塚〉 陸上スクールでは、どんな選手を育てたいの?
〈西村〉 自立した選手です。教育現場では、主体的、対話的で深い学びというアクティブラーニングが謳われていますが、スポーツも最近は主体性を持とうという流れになっています。スポーツを止めた後に何も残らないのではなく、スポーツで学んだことが、次の道でも役立つようにしたいです。
〈石塚〉 まさにレイクスのスクール事業が目指しているものと同じ。頼もしい(笑)。瀬古くんはどう?
〈瀬古〉 ん〜。ちょっと話が外れますが、いいですか。
〈石塚〉 どうぞ。
〈瀬古〉 子どもの頃、スポーツを始める前の僕は、引っ込み思案というか、何事にも自信を持つことができなかったんです。でも、スポーツを通してできることが増え、周りから認めてもらえる機会も増えました。そして自分に誇りのようなものを持てるようになりました。子どもたちにも、スポーツを通して自信をつけてもらい、誇りを持てるようになってほしい。もちろん、中京大学でスポーツ科学を学んできたので、陸上のスキルを教えることはできますが、大事にしたいのはそういう気持ちの成長の部分ですね。
〈石塚〉 僕たちが陸上競技を通して身につけたことを子どもたちに還元して、いっぱい成功体験をしてもらって、自信をつけてくれたら最高やね。
〈西村〉 ですね。今は新型コロナウイルスの影響で、スクールも自粛の機会が多いけど、みんなで滋賀を盛り上げていきましょう!