2021.09.10

[車いすバスケットボール(女子)]あふれるエネルギーと、フレッシュな好奇心 東京2020のその先へ  北田千尋 清水千浪

第1回パラリンピックからの正式競技「車いすバスケットボール」は、巧みな車いすさばきや激しい接触、平等性を追求したルールなど多くの魅力が詰まった花形競技。
素早く攻守を切り替える「トランジションバスケ(速攻)」で3大会ぶりにパラ出場を果たし、東京大会でメダルを狙う女子の主軸となるのが、滋賀県をホームとする北田千尋と清水千浪だ。
「もっとうまくなりたい」と話す初出場2人の視線は東京2020の先へ向かうものの、せっかくの自国開催に「競技の魅力を多くの人に」と意気込む。

走り続けられる今が幸せ

走ると脚が痛くなる症状に悩みながら中学のバスケ部でプレーした北田は、限界を感じて選手の道を断念。だが大学3年の時、車いすバスケに巡り合い、「道具を使えば全力で走れる」気持ちよさに衝撃を受けた。習得は早く、やがて日本代表に選ばれ中心選手となった。滋賀との関わりは競技に専念する前の2012年からで、就職のため和歌山から湖南市へ。その後取り巻く状況は変化したが、湖国の人や自然が気に入って10年間住み続けている。

車いすバスケの選手には障害の程度に応じた持ち点があり、5人の合計点を14点以内にというルールがある。持ち点4.5でハイポインターの北田は「チームの中心にならなくては」と空回りする時期もあったが、延期の1年間で「チームが苦しいときこそ貢献できる選手に」との思いに行き着いたという。車いすバスケでは仲間を鼓舞するだけでなく、障害の重い選手をフォローする面でも「声」が重要。ひときわ大きな声でチームの歯車となりながら、シュートを決めきる北田の姿に多くの人が魅力を感じずにはいられない。「10代は頑張りたくても頑張れなかった。だから頑張れる今が幸せ」と話す北田の活力あふれるプレーに期待したい。

プロサッカー選手だった逸材

好きなバスケで選手復帰できたのが北田なら、未経験だったバスケの世界に飛び込んだのが清水。長浜出身で中高時代は陸上部所属。大学で女子サッカーを始め、プロ選手として新潟、京都でプレーした。30歳で車いす生活となりさまざまな障害者スポーツを体験する中、最も魅力を感じたのが車いすバスケ。練習を始めると、持ち前の高い運動能力で頭角を現した。持ち点3.0でミドルポインターの清水は、攻守で機動力を発揮するゲームメーカーだ。

競技歴がまだ浅く、「試合のたびに新たな発見があるので、東京大会もとても楽しみ」とワクワクした表情が印象的。

「選手が声をよく出す競技で、無観客であればもっと聞こえやすい。日本女子のスローガンである『一致団結』も感じてほしい」とテレビ観戦のポイントも話してくれた。

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