2021.01.09

[激動の2020] コロナ禍にも動じず夢をつかむ 土田龍空

激動の2020
コロナ禍の1年を振り返る
東京オリンピックイヤーとして幕を開けた2020年。例年以上にスポーツへの注目が集まるはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会の延期や中止が相次ぐ異様事態に。
日常生活すら困難な中、スポーツの真価が問われた激動の1年を振り返る。

コロナ禍にも動じず夢をつかむ
中日3位指名に笑顔

 高校1年の夏に脅威の一番打者として甲子園を騒がせた近江高校の土田龍空(3年)が、今年10月のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受けた。改めて当時の心境を聞くと「素直にうれしかった」と笑みをこぼした。

 11月下旬には球団と仮契約を結び、年明けからはキャンプにも参加予定。いよいよプロ野球選手としての一歩を踏み出す。
 高校通算30本塁打を誇る土田だが、武器は「守備です」ときっぱりと答える。その根っこにあるのは昨夏の甲子園。東海大相模戦での2エラーだと言う。

「すごく後悔しました。あれが僕の原点だと思います。それまでは人の意見を聞くのが好きではなかったけど、このままじゃダメだと思った。プライドを捨てて、周りにアドバイスを求めるようにもなったし、もっと守備でアピールできるようにならないといけないと思った」

 今では高校球界屈指の遊撃手と言われる土田だが、そこには苦い過去の経験があったわけである。

悔しかった夏の3連覇

 苦い経験という点では、今夏の夏季滋賀県高等学校野球大会も同じかもしれない。
コロナ禍で思うような練習ができなかったものの、近江高校は前評判通りの強さで県3連覇を果たした。キャプテンとしてチームを引っ張った土田は「目標が達成できてうれしい」と試合後に話している。だが、その喜びのコメントとは真逆で、険しい表情は崩さない。個人としては最後まで打率が上がらないまま終わったからである。

「チームとしては優勝でき、大会を通して3年生が全員ベンチ入りもできた。それはよかったと思います。でも個人としては…。プロ野球選手を目指してやってきた中で、ここまで結果を出せなかったのは初めて。まだまだ練習をして、〝最後には結果〞を出せるように頑張りたい」

 最後の結果とは、もちろんプロ野球選手になること。一抹の不安を抱えたまま夏の大会を終えた土田が、中日3位指名を受けて「素直にうれしかった」と安堵の表情を浮かべた裏には、夏の悔しさがあったのだと思われる。

プロ野球挑戦に向けて

 プロ野球選手としての目標の一つに、土田はゴールデングラブ賞を掲げている。守備力に卓越した選手が選ばれる名誉ある賞を挙げるあたりは彼らしい。それに向け、土田はドラフト指名を受けるよりももっと前から体づくりに取り組んできた。全体練習ができなかったコロナ自粛中も黙々と琵琶湖岸をランニングしてきた。

 夏の大会後も野球部の練習に参加しながら、追加で自主トレーニングをしていると話す。

「自分の課題を探して、常にレベルアップできるように考えています。今だったら、全体的にベースアップしたいので、1時間打ちっぱなしのバッティング練習で上半身を鍛えたり、週3日は朝練で30mダッシュ100本やったり。できるだけ体を仕上げて、プロ野球に挑めたらいいなと思っています」

 高2の冬頃から木製バットに切り替えたのもプロを見据えてのもの。コロナ禍でも自分を失わなかったのは、プロ野球選手になるという強い信念と心の成長があったから。

「近江では人間性を学ばせてもらいました。それはプロの世界でも活かせる部分だと思います」
 コロナ禍にも動じなかった土田が、いよいよ新たな舞台へと旅立つ。

土田龍空

近江高校

2002年12月30日生まれ、米原市出身。米原スポーツ少年団で小学2年から野球を始めた。米原中学では陸上競技部に所属し、野球は湖北ボーイズで行う。近江高校では1年と2年に甲子園出場。高校通算30本塁打。180㎝、80㎏。

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