2020.02.19KENJI OMIYA

レイクスの「常昇」支える #4 狩俣昌也

Lakes Magazine vol.101(2020年2月号)掲載

「上昇気流」に乗る滋賀レイクスターズ。

主力に若手が多いチームにあって、リーダーシップを発揮しているのが狩俣昌也だ。
プロ5クラブを渡り歩いた経験が、レイクスの躍進を支える。

その存在感は、シーズン終盤が近づくにつれて大きさを増している。

レギュラーシーズンを折り返し、最初の試合となった1月25日のホームゲーム、島根スサノオマジック戦。レイクスは1Q残り4分を切っても6得点にとどまる重い展開でビハインドを背負っていた。

ショーン・デニスHCはタイムアウトを取る。すると、ここからコートインした狩俣がスリーポイント(3P)シュートや高橋耕陽へのアシストなどでリズムを作ると、2Qも2つのスティールなど積極的なプレーを見せ、前半でチーム最多の9得点で逆転勝利の流れを呼び込んだ。

後半に大活躍を見せた先発PGの齋藤拓実も試合後に「狩俣選手がシュートを決めることで流れを変えてくれた」とコメントするなど、影のMVPと呼ぶにふさわしい活躍だった。

不調でも自信揺らがず

「新しい挑戦がしたい」と、強豪シーホース三河からレイクスへ移籍してきた狩俣。

bjリーグ時代の琉球ゴールデンキングスでは、今年の天皇杯でサンロッカーズ渋谷を日本一に導いた伊佐勉HCのもとでリーグ優勝を経験。三河では2シーズン主将を務め、2017-18シーズンにはレギュラーシーズンでリーグ最高勝率をマークするなど、レイクスでは「勝者のメンタリティ」を注入することが求められた。

だが、チームは開幕前のアーリーカップでB2のバンビシャス奈良に大敗。

開幕から1カ月間も2勝8敗と大きく出遅れた。全員が連動することを求めるチームのシステムが熟成し切らなかったことが要因だが、狩俣自身も得意の3Pシュートの成功率が10試合で13%にとどまるなど不調に陥っていた。チームとしても、個人としても苦しんだ10月。それでも「自信は失っていなかった」と振り返る。

シュートの不調については、豊富な経験から冷静に分析ができていたという。

「今シーズンは、これまでのキャリアを通してやってきたやり方から新しい方法に挑戦していました。具体的には、シーズン中もパワーをつけるトレーニングをガンガンやっていたのですが、それがしっくりきていないように感じていた。10試合が終わったあたりで、古谷純一ストレングスコーチらと相談し、身体のバランスを整えることにフォーカスしていったことで感覚をアジャスト(調整)できるようになった。チームスタッフが話を聞いてくれたので、そこがすごく大きかった」

〝化学反応〟完成の時

〝アジャスト〟はスタッツにもはっきりと現れる。

12月以降の試合では3Pシュートの成功率が45%まで上昇(1月26日終了時点)。古巣の三河と対戦した天皇杯準々決勝では、狩俣の3本の3Pシュートが勝利の決め手となった。
1月26日の島根戦では7本の3Pを放ち3本を沈めるなど、得点源としても大きな役割を果たすようになった。
狩俣のシュートの復調に呼応するようにレイクスの戦績も向上する。ジェフ・エアーズやクレイグ・ブラッキンズらアウトサイドもこなす強力なビッグマンの加入も相まって、どこからでも得点が狙える強力なラインナップが完成しつつある。

「試合を重ねることに良いケミストリー(化学反応=チームの連携)が生まれている。レイクスの戦い方は誰かが中心というわけではなく、ボールを動かしてコートを広く全員でプレーするスタイル。シーズン序盤は苦しい時期もあったが、我慢して取り組んできたことが今結果に結びついてきている」

勝率5割復帰の先には、クラブ史上初のチャンピオンシップ出場が視界に入る。

「どのチームとやっても勝てる自信を全員が持っている。それぞれのやるべきことも明確になっているので、あとはチームでどういう風に戦えば勝てるのかっていうところも見えてきた。そういう部分では、リーグの中でも強いチームの一つになれるところには来ていると思っている」

歓喜のクライマックスへ、狩俣のリーダーシップと経験が頼もしく映る。

狩俣昌也(かりまた・まさや)

滋賀レイクスターズ

1988年4月28日生まれ、沖縄県出身の31歳。興南高、国際武道大を経て千葉ジェッツでプロキャリアをスタート。琉球ゴールデンキングスでは2013-14シーズンにbjリーグ優勝を経験。福島ファイヤーボンズの後に所属したシーホース三河では主将も務め、今季から滋賀レイクスターズへ加入した。身長178cm、体重75kg。

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