2021.08.09

ついに手にした初の挑戦権。その想いを射撃に込める。 山田聡子

史上初のオリンピック1年延期。凍結されたこの長い時間は、選手たちの運命をも変えてしまった。
1年越しの祭典。この難しいビッグゲームに挑んできた滋賀アスリートたちの軌跡を追う。

10年越しのオリンピック

山田聡子(自衛隊体育学校)
東京2020オリンピックに出場する山田聡子(自衛隊体育学校)が、ピストル射撃を始めたのは2011年の高校2年から。当時、水口高校射撃部を率いていた永野智顧問(現・甲南高校)に「ビームピストルやってみぃひんか」と誘われた。

最初は軽い気持ちだった。だが、山口国体であっさり優勝(日本新記録)すると一気に向上心が高まった。オリンピックに出場する。山田の決意が固まった瞬間だった。まず、両親が射撃部への入部を理解してくれたことが大きい。そして永野先生にビームピストルを勧められなければ、オリンピックを目指すことなかったと思います」

あれから約10年後。山田はがむしゃらに追いかけてきたオリンピック出場という目標を果たすことになる。

3種目で夢の舞台に出場

自身初のオリンピックに挑む山田は、個人2種目(女子10mエアピストル、女子25mピストル)と団体1種目(混合10mエアピストル)の計3種目に出場する。団体を除く個人2種目は、自ら最終選考会を勝ち抜いてつかんだ代表の座。どちらも1位で決めたが、エアピストルはやや悔しさが残ったと話す。

「1位には満足しています。でも、エアピストルは基準点に5点届かなかった。普段から越えられない点数ではあったのですが…。まだまだやなぁ、と思わされた最終選考会でした」とはいえ、コロナ禍で最終選考会が1年延期された状況で、しっかり結果を残したのは見事と言うほかない。

10代で挑んだ2016年リオデジャネイロオリンピック予選から、着実にキャリアを積み上げた証拠だった。

「本当は2020年3月の最終選考会で代表を決めて、2021年の本番に向けて1年かけて準備するはずでした。そのスケジュールに合わせて万全の準備ができていたので、1年延期が決まった時は自分の中に空白の時間みたいなものが2ヶ月ほどありました。でも、最終選考会は1年延びたけれど、オリンピック出場という目標は変わらない。毎日の練習をやめるわけでもないですし、自然と気持ちを切り替えられました。目標を見失わなかったことが良かったのだと思います」

自分の射撃を貫いたその先に

東京2020オリンピックでは「メダルを取ること」を目標に掲げている。そのために意識するのは「どれだけ自分の射撃を貫けるか」。高校の頃からずっと変わらない信念でもある。

「周りの選手や点数を気にすると、気持ちが浮き沈みします。だから、考えるのはただ一つ。〝どうすれば10点に当てられるか〞。常に10点を狙うことに集中すれば、結果は後からついてくる。オリンピックはレベルも高いでしょうし、自己ベストを更新していかないと決勝には残れない。強いて目標の数字を言うなら満点の600点です」常にいつも通り。水口射撃部が掲げるテーマは今も山田の内にある。

滋賀で生まれてよかった

山田は東京2020オリンピック出場に際し、改めて滋賀の良さを知ったという。最終選考会の前には、ずっと憧れてきた綾戸真美さん(元ライフル射撃日本代表。現在は引退)をはじめ、高校射撃部の関係者たちから激励のメールが続々と届き、勇気をもらったそうだ。

「綾戸先輩とは海外遠征にも一緒に行きましたし、ほかの先輩方や同級生たちも自分がオリンピックに出るつもりで競技を続けてきたと思います。(山田を妬むことなく)その想いを私に託してくれました。代表に決まった時もみんなが喜んでくれましたし、本当に温かいなと感じました」

また、表敬訪問などで6月に帰郷した際は「滋賀で生まれてよかった」と実感する出来事もあったと言う。

「私が生活している関東は、滋賀県よりも新型コロナウイルスの感染が拡大していました。正直、こんな時に〝帰ってくんなよ〞って思われているんじゃないかと心配しながら戻ってきました。でも、甲賀市役所や県庁で嫌な顔をする方は誰もいなくて、おめでとうございますって温かく迎え入れてくださった。滋賀出身で本当によかったと思いました」

10年越しの想いとみんなの気持ちを射撃に込めて。山田の東京2020オリンピックは幕を開ける。

山田聡子

自衛隊体育学校

やまだ・さとこ。1995年2月26日生まれ、甲賀市(水口町)出身。水口高校2年時からビームピストル競技をはじめ、2011年の山口国体少年少女ビームピストルで優勝。高校卒業後は自衛隊体育学校へ。2014年には全日本選抜エアピストル優勝し、世界選手権に出場した。2015年8月のワールドカップ(アゼルバイジャン/ガバラ大会では初のファイナル進出。その後も世界を舞台に腕を磨き、東京2020オリンピックの出場国枠を獲得。今年3月に女子10mエアピストル個人、4月には女子25mピストル個人で五輪代表に内定。混合10mエアピストル団体と合わせ、3種目で初のオリンピックに挑む。

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