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2021.02.24

〝びわ湖〞から世界へ羽ばたいた 元オリンピアンが語るあの春の記憶   花田勝彦

世界王者フィスとの思い出

びわ湖毎日マラソン(以後〝びわ湖〞)に3度挑戦した経験を持つ花田勝彦さん(GMOインターネットグループ監督)。1997年の52回大会では、2時間10分02秒という好タイムで日本人選手2位(全体5位)に入り、アテネ世界陸上の出場を果たしている。選手を引退後はレース解説を務めるなど〝びわ湖〞との縁が深い花田さんに、まずは最も印象深い大会を聞いてみた。

Q. 3回出場された〝びわ湖〞の中で、最も思い出がある大会は?

「やっぱり2度目の出場となった52回大会ですね。実はこの年は〝びわ湖〞ではなく、その前の東京国際マラソン(現東京マラソン)に出る予定でした。でも、直前に足を痛めて〝びわ湖〞にスライドさせ、急ピッチでコンディションを整えてレースに挑みました。この大会で日本人2位に入り、世界陸上の出場を決めました。目標を達成できたのでよかったのですが、あと3秒でサブテン(2時間10分以内)入りだったので悔しさが残るレースでもありま
した。当時はまた次の機会があるかと思っていたのですが、結局サブテンは達成できませんでした。あともう少し頑張っておけば…という後悔も含めて、印象に残っています」

Q. とはいえ、33.8㎞付近で先頭に立つなどマラソンファンを熱くさせたレースでした。

「走っている本人はなかなか調子が上がらず、前半は苦しかったんですよ(笑)。でも、25㎞くらいから調子が戻ってきて、30㎞くらいで一度仕掛けてみました。すると、疲れているように見えた世界王者のマルティン・フィス選手(スペイン)が付いてきたので、自分は勝負せずに下がってしまった。あのまま下がらずに走っていたら自分のマラソン人生も変わっていたかなと振り返ることもあります」

Q. M・フィス選手と競り合って、改めてすごさを感じましたか?

「そうですね。私が師事した瀬古さん(瀬古利彦)を彼も尊敬していたみたいで、相手を揺さぶって蹴落とすような走り方は似ている気がしました。私にとってフィス選手は憧れの一人でしたし、一緒に走ることができて光栄でした」

Q. 瀬古利彦さんも〝びわ湖〞を走られましたが、花田さんにとっても瀬古さんは憧れの存在だったのでしょうか?

「私が彦根東高校1年の時、瀬古さんがソウル五輪の選考レースとしてびわ湖〞に出場されました。その大会で私はボランティアに駆り出されて、折り返し地点の計測員をやっていました。生で瀬古さんを見たのはその時がはじめてで、しかもハーフ地点まで日本新のハイペース。トップ選手の走りは、こんなに速いのかと思った記憶がありますし、憧れの存在でした」

五輪金メダリストが駆けた

Q. 〝びわ湖〞が今年で最後のレースになります。それに関してはどんな想いがありますか?

「〝びわ湖〞は風があったり、気温が上がったり下がったり、国内の中では難しいコースだと思います。最近はマラソンの高速化でどちらかと言えばイージーなコースが増えてきている中で、〝びわ湖〞で結果を出すというのは一つの強さの象徴でした。その指標となるレースがなくなるのは、選手や解説者として関わってきたからというだけではなく、一人のマラソン・ファンとしても、やっぱり寂しいものがありますね」﹇Q﹈オリンピックや世界陸上の開催年では〝びわ湖〞が最後の選考レースになってきました。それを滋賀で開催できることに、滋賀県の陸上競技関係者は誇りを持っていたと聞いています。「そうですよね。私がマラソン選手になって最初に憧れたのは1972年のミュンヘン五輪の金メダリストであるフランク・ショーター選手(アメリカ)ですが、歴史を振り返ると翌1973年に〝びわ湖〞(当時の大会名は毎日マラソン)を走っています。オリンピックで史上初の2大会連続金メダルを獲得したアベベ・ビキラ選手(エチオピア)も、1964年の東京オリンピック翌年に〝びわ湖〞を走っています。そういう伝統も含め、選手としては〝びわ湖で勝つ〞ことが一つの大きな勲章でした」

ある選手に刺激を受ける

Q. 解説者として、印象に残っているレースはありますか?

「長年〝びわ湖〞を観てきましたので、なかなか一つには絞れません。でも、強いて言うなら北京五輪の選考レースだった2008年の63回大会です。引退してまだ4年ほどで、解説も始めたばかり。現役選手に話を聞く経験がほとんどなかった中で、大会前にNTT西日本の大崎悟史選手(現山梨学院大学監督)に話を聞かせてもらう機会があり
ました。当時のNTT西日本は練習環境がいいとは言えず、彼も仕事をしながらストイックに競技を続けていました。解説の立場を抜きにして応援したいなと思いました。そして〝びわ湖〞当日。大崎選手が日本人選手1位に入る好レースを見せました。解説をしていても力が入りましたし、指導者として、将来はこういう選手を育てたいと思いました。大きな刺激を受けた大会です」

Q. 今年も解説をされますが、最後の〝びわ湖〞に何を期待されますか?

「タイムが出にくいコースですが、7分台は出してほしいなと思っています。選手たちが牽制し合うのではなく、競り合ったおもしろいレースになってほしいからです。欲を言えば、私が監督を務めているGMOアスリーツの選手たち(5人エントリー予定)が優勝争いに絡んでくれたらうれしいですね。頑張って解説しますので、ぜひテレビで最後の〝びわ湖〞を見届けてほしいと思います」

はなだ・かつひこ。1971年6月12日生まれ、近江八幡市出身。 桐原小学校、八幡西中学校、彦根東高校、早稲田大学を経て、瀬古利彦氏 が監督を務めていたエスビー食品へ入社。オリンピックに2度出場 (1996年アトランタ大会5000m、2000年シドニー大会5000m・ 10000m)し、シドニー大会男子10000mでは決勝へ進出を果たした (最終15位)。マラソンでは1997年の第52回びわ湖毎日マラソンで日本 人選手2位に入り、同年開催のアテネ世界陸上に出場している。2004年 に選手を引退した後は、上武大学駅伝部監督に就任し、箱根駅伝8年連 続出場の実績を残した。2016年からIT大手のGMOインターネットグ ループが創設した男子陸上長距離チームのGMOインターネットグルー プ監督に就任、長年、びわ湖毎日マラソンの解説者も務めている。

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