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2020.01.04

【創刊100号特集】時代を築きし者たち[スポーツ文化編]①

[棒高跳び ロンドン五輪日本代表]我孫子智美 ✕ [公益財団法人滋賀レイクスターズ 理事長]坂井信介
マガジン✕ファンド✕総合型クラブ 三段階で滋賀のスポーツ文化を変えていく

長居が沸いた2012

〈坂井〉 対談の前に、まずは創刊100号につき、読者、ファンド個人・法人サポーター、そして制作関係者の皆様に感謝申し上げます。ところで、我孫子さんがレイクスに入社したのが2010年の7月。その2年後の日本選手権でロンドン五輪出場を決めた。4m40の日本記録を出した、あの長居陸上競技場の光景が今でも忘れられない。人生の中でもかなり大きな出来事でした。

〈我孫子〉 もちろん、私にとっても大きな出来事でした(笑)。あの時は、”今から日本記録に挑戦します”というアナウンスが流れ、いい雰囲気で跳べた記憶があります。

〈坂井〉 確か、前日は雨でしたが、当日は嘘のように晴れて。多くの観客で長居が埋め尽くされていたと思います。

〈我孫子〉 そうですね。前日の模様をテレビで見て”うわ、めちゃめちゃ雨降ってるやん”と心配した記憶があります(笑)。でも、当日はすごく晴れて、風も追い風。ポールがあおられる心配もなく、最初から気持ちよく跳べました。

〈坂井〉 私はスタンドの中段あたりで見ていました。我孫子さんが跳ぶ前はスタジアムがシーンと静かに
なって、そして日本記録を出した瞬間に会場全体が割れるようにドカーンと沸いた。サッカー日本代表の試合を長居で見たことがありますが、それ以上に会場が沸いていたのを覚えています。

〈我孫子〉 でも、この日本選手権はギリギリの挑戦だったんですよ。それまでの自己ベストは4m25止まり。
前年10月の山口国体で肩を脱臼し、2016年4月の織田記念は捻挫で回避。6月の日本選手権がロンドン五輪の最後の挑戦でした。

〈坂井〉 そうでしたね。でも、日本選手権は最初から跳躍の調子が良かったと記憶しています。

〈我孫子〉 はい。直前練習でも、結構”浮けている”なと。全ての高さを1本目でクリアし、日本記録の4m40挑戦を迎えました。

〈坂井〉 バスケでは、2015年にTKbjリーグの有明ファイナルズ行きを決めた京都ハンナリーズ戦が歴史の大きな1ページですが、バスケ以外では我孫子さんの長居の跳躍が最も思い出深いシーンです。

〈我孫子〉 そこまで言われると、ちょっと照れます(笑)

奇跡が重なった一冊

〈坂井〉 2011年10月に創刊したレイクスマガジンの表紙を並べてみると、私は川淵三郎チェアマン(当時)が表紙を飾った2015年9月号が印象深い。キャパ5千人以上のアリーナ問題などを抱えながら、レイクスがBリーグ1部に入れるように奔走した時期でもあって、思い入れが強い1冊です。我孫子さんはどの号が印象深いですか?

〈我孫子〉 私はやっぱり2012年7月号です。ロンドン五輪の出場を決めた時の号ですね。

〈坂井〉 確かに、あの号は私も印象深いです。我孫子さんがロンドン五輪出場を決め、地域総合型クラブへ
の気運が高まり、今の陸上スクールやシーズンスポーツ事業、ゲームコンダクター事業の受託などへとつながっていく。一つの分岐点になった号ですね。

〈我孫子〉 あの頃、実はマガジンでコラムも書かせていただいていました。それも印象的です。

〈坂井〉 そう、そう。確かビートルズのアルバム「Abbey Road」と、我孫子さんの名前をかけた「アビー・
ロード」というタイトル。

〈我孫子〉 はい。でも、執筆時はコラム名をつけてくれた編集者の意図も知らず、我孫子の歩んできた道だから”アビー・ロード?”くらいにしか思っていませんでした。後から知った話ですが、実はロンドンにあるアビー・ロード=ロンドン五輪への道という想いが隠されていたみたいです。それを聞いた時、私はこのコラムに導かれたんかもなぁと思いました。ロンドン五輪に行った時に、しっかりアビー・ロードで写真を撮ってきて、マガジンに掲載もしてもらいました。それがコラムの最終回です。

〈坂井〉 それにしても、コラムを書いている人が日本記録を出して、五輪に行って、しかも表紙を飾る…、前代未聞の話です(笑)

〈我孫子〉 はい。いろんな奇跡があの号には重なっていました。

〈坂井〉 初期に偶然や幸運な要素に恵まれたからこそ100号単位の継続がある。そして、その記念すべき号をこの対談中に振り返ると…、高校生時代の大橋悠依選手(競泳・イトマン東進)も載っている…。

〈我孫子〉 あっ、ほんとですね。知らないうちに、大橋選手と表紙で共演していました(笑)。やっぱり、この号は奇跡の号です。

二次元を”三次元”に

〈坂井〉 財団法人を立ち上げて、すでに8年が経過しました。継続できている点が最もうれしいことですが、その中で陸上スクールも立ち上がり、生徒も今では200人に達しようかとしている。そして、我孫子さん以外にも選手が増えました。バスケも含めて、複数のことがいい相乗効果を生んできた8年でした。その歩みとともにマガジンの100号もあります。すごく喜ばしいことだと感じますし、200号、300号と積み重ねていけたらいいなと思っています。

〈我孫子〉 私にとって、マガジン100号の期間は激動でした。ロンドン五輪出場という歓喜があり、その4年後にはリオデジャネイロ五輪に行けず失意のどん底に。ケガを負ってもやる気が削がれた経験はなかったんですが、リオ落選の時は”もう出来ひん”と思いました。その頃に、坂井さんから”陸上スクール、来年の春から始めるから。準備よろしく”と言われた。最初は「今の私に…」と思いましたが、リオ・ショックを引きずっている時間はない。必死で取り組んでいたら、リオのことは忘れていました。私が競技を続けられているのも、陸上スクールのおかげです。

〈坂井〉 なるほど。こちらとしては、意図してそのタイミングに陸上スクールの話を持ちかけたわけではないけれど(笑)。結果的にそういう偶然が生まれたわけですね。先ほどの話ではないけれど、巡り合わせの妙というか。そういう偶然が起きる要因には、マガジンとレイクス・スポーツファンドの連動があると思います。紙媒体という二次元のものが、ファンドと連動することで”三次元”の立体的なものに変わっていく。マガジンがあるからファンドが機能し、ファンドがあるからマガジンも継続発行できる。この連動に所属選手やスクールが重なっていく。もちろん、プロバスケットの活動で得る地域的認知や個人、法人、自治体などからの支援が背景として支えているというリンクがこの事業の面白いところだと思います。

ファンドの発展がカギ

〈坂井〉 ファンドとマガジン、少数の所属選手という形でスタートし、今は少しずつ所属選手も増えてきて
います。地域総合型クラブとしての基盤はこの8年でなんとなくできてきました。これからは、ほかの競技でも、バスケのようにユースからトップチームまでという組織を作っていけたらいいなと私は考えています。我孫子さんは次のマガジン100号というスパンで物事を考えた時、どうありたいと思っていますか。

〈我孫子〉 私は、レイクスを、多くの選手が安心して競技を続けられる場所にできたらいいなと思っています。私がレイクスに来る前、何ヶ月かフリーターをしていました。大学の時に日本選手権を制覇し、全日本インカレ4連覇をしていましたが、日本代表に選ばれておらず所属先が決まらなかったからです。これから世界を目指そうという時期に、競技を続ける環境に不安を感じていました。私と同じ境遇の滋賀の選手は多いですし、そういう選手たちが安心してチャレンジできる場所を滋賀に作りたい。それを作るには、これからのファンドの発展がカギになると思っています。

〈坂井〉 なるほど。実業団スポーツに対して地域クラブがあるけれど、収入源がスクールの会費だけでは継
続は難しい。いろんな相乗効果で継続的なサイクルを作るには、地域の支援、個人、法人をまとめるファンド機能が有効だと思います。実業団スポーツや部活動の是非が問われている中で、レイクスの活動が一つのモデルケースになれるように頑張っていきましょう。

〈我孫子〉 よろしくお願いします。

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