2020.01.04

【創刊100号特集】時代を築きし者たち[アスリート編]②

【FILE02】元陸上競技・男子100m
[立命館大学陸上競技部コーチ]小谷優介
始まりはこの男から。

滋賀に新しい流れを

 2017年11月12日、日本の短距離界をリードしてきた小谷優介は現役最後のレースを迎えていた。場所は自分を大きく成長させてくれた母校・立命館大学のクインススタジアム(びわこ・くさつキャンパス)。第4種陸上競技場として公認された後、最初に行われた大学主催の記録会だった。
「大学の計らいで、最後の舞台を用意してもらいました。ずっと練習してきたスタジアムを最後に走れて、すごく幸せでした」

 小谷が引退を決意したのは、2016年リオデジャネイロ五輪出場を逃したことが影響していた。「2012年のロンドン五輪はあと2mで切符を取り損ねた。4年後のリオは絶対に行く。そう覚悟を決めた矢先から肉離れに悩まされた。それでも、自分の走りを見直して、一時はタイムが落ち込んでも、なんとか2016年の日本選手権で勝負できる状態には持っていけた。自信もあった。けれど、勝負の日本選手権では10秒9と平凡なタイムに。もう日本一にはなれない、世界には出られないと、その時に思ってしまった」

 その頃、北京五輪4×100mリレーの銀メダリスト高平慎士に「なぜオリンピックに行けなかったかわかるか」と問いかけられたという。答えに窮した小谷に対して、高平はこう続けたと話す。
「”オリンピックに出た後の自分を想像できていたか?”と高平さんに言われた。自分は”出場”だけを考えていた。五輪に出られる人と出られない人の差が、ここにあったのかもしれないと思いました。この言葉が決め手になって引退を決めました」

 現在、小谷は住友電工を退社し、立命館大学で働きながら陸上競技部のコーチを務めている。男女200人の部員たちの成長を願う一方で、こんな思いもあるようだ。
「滋賀は中学・高校・大学の指導者の仲はいいけれど、なぜか中学を卒業したら選手は県外へ行ってしまう。もちろん、それが悪いことではないけれど、できれば自分が滋賀でずっと競技を続けてきたように、滋賀から世界へ羽ばたく選手を育てたい。滋賀で育った選手がずっと滋賀で競技を続けられる、そんな流れを作れたらいいなと思っています」

 レイクスマガジン創刊号で表紙を飾った小谷。その時の記事にも”滋賀愛”が溢れ出ていた。滋賀生まれ、滋賀育ちの元トップスプリンターは、これからも滋賀を盛り上げるつもりだ。

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