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2019.10.12

【B.LEAGUE開幕特集】シェーファーアヴィ幸樹

滋賀からTOKYOへ大器が見据える飛躍の年

底知れない可能性を秘めた21歳が滋賀レイクスターズに加わった。シェーファーアヴィ幸樹。バスケットボールを始めてわずか5年で世界の大舞台に立った大器は、滋賀から来年のTOKYOを見据えている。

立ち位置を知ったW杯

 「ワールドカップ(W杯)で自分の立ち位置を知ることができた。僕の目標は五輪に出て、日本代表に定着して世界を相手に戦える選手になること。目標がどの位置にあるのかがわかった。21歳で知ることができたのはすごく良かった」

 今夏、シェーファーは日本代表としてW 杯に出場し、2 試合で10分間だけコートに立った。スタッツだけを見れば、本人も決して満足はしていない。だが、持ち帰ったものの価値の高さには十分な手応えを感じているようだ。
 「アメリカ代表と対戦して、ある意味一番上を見てきたので、もう恐れるものはない」と力を込める。
 
21歳のシェーファーは、アメリカのジョージア工科大を休学し、昨季途中にBリーグ入りした。日本の大学に置き換えれば、現在の4年生と同年代。しかし、この世代には日本人で初めてNBA球団からドラフト1巡目指名された八村塁(ワシントン・ウィザーズ)がいる。日本代表ではこの2人が最年少だったが、八村は対戦国から徹底マークを受けるほど、世界から認められる日本の絶対的エースだった。
 「自分の中では、塁はライバル。ただ、彼はすでにだいぶ上に行ってしまった。塁を助けられる”相棒”のような選手になりたい。W杯では塁が苦しんでいるのをベンチで見ているしかできないのが辛かった。早く横に立って、プレーできるようにならないといけない」

 2人は2017年に出場したU19W杯で共に日本代表の主力を担った仲でもあるが、そこへ至る経緯が全く違う。八村が宮城・明成高でウインターカップ3 連覇を成し遂げた高校バスケ界のスターだったのに対し、シェーファーがバスケを始めたのは高校入学後。インターナショナルスクールなので日本の高校よりも半年遅い高1の秋だ。
 「小3から毎年10cm伸び続けた」身長は2 m 近くに達していたが、彼が追いかけていたのはサッカーボール。入学した学校のサッカー部が強くなかったことなどから、長身を生かせるバスケに転向した。

 そこからが激動の競技人生だ。競技歴1年半で潜在能力の高さを評価されてU18日本代表に抜擢されると、出場した大会でアメリカ代表と対戦。そこで「あまり差を感じなかった。『意外と届きそうだから、バスケをガチでやった方がいいぞ』という思いが出てきた」といい、本格的にバスケで上を目指すようになった。初めは「大学でもできれば」という意識だったはずが、気づけばアメリカのN C A A ディビジョンⅠを目指すようになった。
 「高校時代に日本代表に呼ばれていなかったら、僕は今バスケをやっていない。だから僕にとって一番大事なのは代表でプレーすること」とシェーファーは断言する。実際、留学を切り上げてBリーグ入りしたのは、アメリカでプレータイムが得られず、「体が大きくなっただけで、スキルは全く成長していなかった」と感じたためで、決断はとても早かった。さらに、わずか半年でアルバルク東京からレイクスへ移ったのも、出場機会を求めてというシンプルな理由が全て。念頭にあるのは2020年の東京五輪だ。

 「日本代表の最大の目標は五輪であり、東京で開催される五輪はどの競技の日本人選手にとっても特別な大会であることは間違いない。2020年の五輪が別の場所だったら、次の五輪を目指してアメリカの大学に残っていたかもしれないが、後悔したくなかった」とシェーファーは話す。

 W 杯では、日本代表の常連だったベテラン太田敦也(三遠ネオフェニックス)からポジションを奪う形となった。「ずっと代表を張っていたアツさん(太田)のところを取ったので、”アツさんの分まで”という意気込みもあった。誰かの思いも背負って戦うプレッシャーは初体験で、とても貴重な経験だった」という。

 レイクスで過ごす今季は東京五輪へ直結すると言っても過言ではない。「シーズンが終わった時に『お前誰だ?』と言われるくらい、今の自分からは想像できないような選手に成長していたい」とシェーファー。滋賀からTOKYOへ。飛躍の1年が始まる。

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