2022.09.18

初の世界陸上で自己ベスト更新。この経験を次の世陸、そしてパリへ。園田世玲奈

〝初〞づくしの世界陸上

 世界陸上 女子35㎞競歩(2022年7月22日)に出場した園田世玲奈(NTN)が、この大舞台で自身が持つ日本最高タイムを更新して9位に入った。ラスト200mでブラジルのV・リラに抜かれ、7秒差で惜しくも8位入賞を逃したものの、初開催の35㎞競歩、初の日本代表、初の海外レース、初の世界陸上という初めてづくしの中で大きな経験を得た。オレゴンでの熱戦から約1週間後、園田選手が滋賀に戻ってきたタイミングで話を聞くことができた。

【Q】初めての世界陸上でしたが、率直な感想をお聞かせください。

 終われば、あっという間だったなという感想です。でも、それまでの準備や練習はしっかりやってきましたし、本番ではそれを出し切れたと思います。

【Q】新型コロナウイルスの影響で棄権する選手も相次ぎました。

 日本選手団も続々と感染していたので、私も1日1日が必死でした。あ、今日も無事だったという感じで過ごしていました。スタートラインに立てないのは、応援してくださっているみなさんに対して最も申し訳ない形になってしまうので、自分なりに対策は徹底してきました。例えば、選手村での朝ご飯の時間をみんなとずらしたり、晩ご飯をめちゃくちゃ早い時間に食べたり、エレベーターを使わずに階段を利用したり。私の部屋は4階だったのですが、頑張って毎回上り下りしていました(笑)。自分の体は自分で守るというのを心がけて過ごしていました。

【Q】その苦労を乗り越えてスタートラインに立った時は、どんな気持ちだったのでしょうか?

 「あぁ、本当にスタートできるんだぁ」ですね。うれしさでいっぱいでした。


▲母校・草津東高校には巨大な懸垂幕

「25年」に有終の美

【Q】レースプランはどういうものを立てていたのでしょうか。

 日本国内のレースと同じように、自分の得意とする一定のペースを保って歩き、ラスト10㎞で勝負に出られたらなと思っていました。でも、海外の選手たちにラスト15㎞くらいで勝負をかけられてしまいました。それに合わせて自分も4分(1㎞)を切るくらいのペースに上げていたのですが、ラスト3㎞の時点ではもう力を使い果たしていました。

【Q】ラスト200mで抜かれ、8位入賞を逃しました。あの時はどんな思いで歩いていたのですか。

 沿道から声をかけられていたので、後ろから(リラ選手が)どんどん迫ってきているのはわかっていました。でも、もう体が動かなくて。なんとか8位入賞に入りたくて抜き返そうとは思ったのですが、結局、抜き返せませんでした。最後の最後で経験不足の差が出たと思いますし、それも含めて力不足だったのかなと思います。

【Q】とはいえ、世界陸上では2時間45分09の日本最高タイムで完歩。自己ベストを更新されました。

 前半でガンガン攻めていて、最後の5㎞でも一定ペースで歩ければもっと記録は出せたのですが、後半のペースダウンが目立ってしまいました。そこをもう少し改善していきたいですね。

【Q】来年も世界陸上が開催され、24年にはパリ五輪も控えています。

 今回の世界陸上を経験できたことが大きな自信になったので、来年のブダペスト世界陸上は8位入賞を目標にして、パリ五輪はメダルを狙いたいです。そして25年には日本で世界陸上が開催されます。同じ25年には滋賀で国スポも開催されますので、なんとかそこまで一線で頑張って、有終の美が飾れたら最高だなと思っています。

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 本誌でのインタビューは大学4年生の(2018年)以来となる。あれから4年でトップアスリートの風格が増した園田選手だが、気さくで魅力的な人柄は以前のまま。誌面の都合上、ここでは内容を割愛している。本誌WEBではフルバージョンを公開予定(園田世玲奈WEBオリジナル)。そちらもぜひ、ご一読いただきたい。


▲草津東高校時代の恩師・小澤信一氏(龍谷大学 長距離コーチ)との一枚

園田世玲奈

NTN

そのだ・せれな。1996年9月10日生まれ、大津市出身。NTN(三重)所属。田上小学校、田上中学校、草津東高校、中京大学を経てNTNへ。中学から陸上競技をはじめ、競歩は高校2年の春から本格的に開始。高校3年時にはインターハイ5000m競歩で9位。大学では10000m、20㎞を中心に練習。2018年4月の全日本50㎞競歩で優勝(4時間31分52秒)。2022年4月の日本選手権35km競歩で優勝し、世界陸上の切符を手にした。

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