2021.07.18

9月のW杯で「世界を驚かせる」 吉川智貴[フットサル]

常勝・名古屋の誇りを胸に


6月5日、日本最高峰のフットサルリーグ「Fリーグ ディビジョン1」の2021-2022シーズンがいよいよ開幕する。見どころは名古屋オーシャンズ(名古屋)の5連覇をどこが止めるか。シーズンを通したテーマはここに集約される。

名古屋が過去14シーズンで優勝を逃したのは2016-2017シーズンの1回だけ。この時、名古屋の4連覇に貢献した吉川智貴は遠くスペインのマグナ・グルペアでプレーしていた。

「練習生として参加し、そこから契約(期限付き移籍)に持っていけたのはラッキーだったと思います。本場のフットサルはまず日本とはゲームスピードが全く違いましたし、スペースの作り方や使い方もまるで異なる。日本よりもゴールに直結するプレーが多く、スペインの2シーズンで身につけたことは今も自分の財産です」

武者修行を終えた吉川は、名古屋が優勝を逃した翌シーズンに帰国。2017-2018シーズンから再び常勝軍団でプレーし、現在4連覇中のチームに大きく貢献している。

「選手のキャリアをスタートさせた頃から、名古屋には憧れのようなものがありました。いつか、あのユニホームを着てプレーしたいって。だから、このユニホームでプレーできることは、今も変わらず誇りに思っています」

32歳。今も進化を続けるベテランは、今シーズンも優勝請負人の1人としてコートに立つ。

高校最後は野洲に敗れた

吉川がフットサルを始めたのは同志社大学からだった。「実は高校の頃にサッカーで心が折れたというか、もうサッカーは続けていない時に誘われた」と言う。

心のリフレッシュも兼ねて始めたフットサルだったが、「子どもの頃から頑張ってやってきたサッカーが通用しない。似て非なるどころか、全く別のスポーツ。これは面白いな」と、眠りかけていたアスリート魂に火がついた。

サッカーでは無名に近かった吉川だが、フットサルでは全日本大学フットサル選手権準優勝など好成績を残していく。Fリーグが発足した2009年にはバサジィ大分大分でプレーし、唯一のプロチームである名古屋入りを目指すことになる。サッカーで挫折を味わった吉川が、今や常勝軍団を支えているのだから人生はおもしろい。

そんな吉川になぜ高校時代に心が折れたのかを聞くと、その陰には現在もスペインリーグで活躍している乾貴士の存在があった。

「僕は長浜の高月サッカー少年団でサッカーを始めました。中学は地元のバーニングブラッドFCです。2つ上の先輩にはFC岐阜の橋本和さんがいてその代は強かったんですが、僕らの代はあんまりでした。でも、サッカーが好きでうまくなりたい。少し遠かったんですが、高校は強豪の草津東を選びました。でも、予想通りというか、周りのレベルが高くて僕は一番下のチームからのスタートでした。それでも腐らずに努力して、高校3年の時にやっとAチームに上がることができました。高校最後の選手権滋賀県予選も順調に勝ち上がって、決勝戦までたどり着いた。あと1勝で全国にいける。その夢を砕いたのが、乾貴士選手がいる野洲高校でした」

試合は全国2連覇を目指す野洲が1点リードし、そのまま終盤を迎えた。だが、草津東が土壇場で同点に追いつき、延長戦に突入する。そして野洲に再びリードを許した草津東の夢はここで終わる。

「小林(茂樹)監督の指導は厳しかった。それに耐えて頑張ってきたのに、やっぱり野洲には勝てなかった。あの時、もうサッカーはやめようと思いました」

あれから15年以上が経つ。競技は違うが、奇しくも吉川はかつて乾が立った〝ワールドカップ〞という舞台に挑もうとしている。

「代表メンバーに選ばれたら、自身初のワールドカップです。乾選手じゃないですけど、世界を驚かせたいですね」

ワールドカップは9月にリトアニアで開催される予定。吉川の勇姿を今から楽しみに待ちたい。

吉川智貴

名古屋オーシャンズ

よしかわ・ともき。1989年2月3日生まれ、長浜市出身。高月小学校、高月中学校、草津東高校、同志社大学卒。2009年にバサジィ大分に加入し、Fリーガーとしてデビュー。デウソン神戸を経て、2012年に常勝・名古屋オー シャンズへ。2013年と2014年の2シーズンはキャプテンを務めた。2015年から2シーズンはスペインのマグナ・グルペアに期限付き移籍。日本人で初めてスペイン国王杯の決勝戦を経験する。日本代表としては2014年にAFCフットサル選手権優勝に貢献。現在は代表キャプテンを務めている。2019年にはAFC年間最優秀フットサル選手にも選出。174㎝、65㎏。

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